2024年10月27日 聖霊降臨後第23主日(B年)

 

司祭 ヨハネ 古賀久幸

「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」
【マルコによる福音書10章46〜52】

 聖書は神様の愛や真理を難しい文章で伝えません。生きる悩みや苦しみ、人生の課題を抱えてイエス様のもとを訪れる人、あるいは呼び求める人に対して深い配慮と慈しみもってイエス様が応えられ、そこで起こった驚くべき出来事を経験し、その喜びに生きた人。また、その後の人生を見届けた人々の感動の証しによってわたしたちに伝えられます。その時、私たちの魂は激しく揺すぶられます。
 今まさにエリコの町を立ち去ろうとしているイエス様の背中に、人生最後のチャンスとばかり大声をあげて助けを求める声が届きました。「エレイソン(憐れんでください)メ(わたしを)!」。目が見えないが故に町の門外で物乞いをしているバルティマイ。わずかな小銭を乞うて糊口をしのぐ者がイエス様を呼び止めるとは。目がつぶれた罰当たりめ。黙れ!と大勢の人は身の程知らずのバルティマイを𠮟りつけます。しかし、その声にイエス様は立ち止まり「あの男を呼んできなさい」と言われました。彼は施しの小銭のために卑屈に折っていた膝と腰を伸ばして立ち上がり、目が見えないというだけで着せられていた上着を脱ぎ棄て、踊りあがってイエス様のところにやって来たのです。決して口に出せなかったけれど、心から乞い求めていた真の願いをイエス様に言える時が来ました。「何をしてもらいたいのか?」とのイエス様の問いに「目が見えるようになりたいのです」と打ち明けたのです。まっすぐにイエス様に憐れみを乞い、イエス様のところへ来たバルティマイ。彼の一途な心を、あなた自身を救った信仰とイエス様は認められたのです。そして、「行きなさい」とバルティマイを自由な責任ある人生へとイエス様は未来の扉を開いてくださるのでした。
 聖書の中でも特に印象的な癒しの場面。その後、この目の不自由な物乞いの叫びはすべてイエス様を求める人々、そしてわたしたちの祈りとなりました。「キリエ(主よ)エレイソン(憐れんでください)」。すべてはこの短い叫びから始まったことを聖書は伝えています。バルティマイの目が見えるようになったことは大きな奇跡です。そして、イエス様の呼びかけに応えるため、責任と自由において道を進まれるイエス様の後に従っていったルティマイ。彼の人生における大きな変容こそ奇跡ではないかと思うのです。