2024年9月15日 聖霊降臨後第17主日(B年)

 

司祭 ミカエル 藤原健久

みんな誰かの救い主。【マルコ8:27−38】

 「あなた方は私を何者だと言うのか。」「あなたはメシアです。」これが私たちの信仰の中心です。イエス様は救い主です。但しそれは一般的な意味ではありません。「私にとっての」救い主です。
 そのイエス様が言われます。「自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」これは、イエス様のように生きなさい、という招きの言葉です。そしてその意味は、「あなたも誰かを救いなさい」というものです。
 イエス様は言われます。「自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、私のため、また福音のために命を失うものはそれを得る。」命とは何でしょう。命は、自分のためではなく、イエス様のように、誰かを愛し、救う時に、輝きだすのだと、イエス様は教えてくださっています。
 命がそのようなものなら、私たちは、既に、誰かを救い、幸せにしているのでしょう。神様が命をそのように造られたのなら、命の本質がそのようなものなら、私たちは誰かを救わずにはいられないのです。きっと、自分では気づかない内に、誰かを救っているのでしょう。私たちが今まで、多くの人から救われ、幸せにしてもらったように。
 イエス様に従い、愛の道を歩みましょう。