司祭 アントニオ 出口 崇
『人の中から出て来るものが、人を汚すのである』(マコ7:20)
神学校の1年生の時、ある司祭さんから、ベストリーに入って聖餐式の準備をする時にまずすることは何か?と問われました。
色々な教区から学生が来ており、それぞれが教会や教区で学んだオルターの作法、サーバーの所作がありましたので、他の神学生のやり方が気になる、チャリス・パテンの向きであるとか、十字を切る箇所、お辞儀をする時などの礼拝所作は、どうするのが正しいのか、という話題が常にありましたので、「まず何をする」という質問にみんな戸惑ってしまいました。
答えは「準備の前に、まず手を洗う」でした。答えを聞いた時は、なんだ、そんなことかと拍子抜けしましたが、神学生のほとんどが手を洗っていなかったので、あの先生の教会に実習に行ったら、とりあえず手を洗え!という話になりました。
今日の福音書の食事の前に手を洗う、というのも、衛生的な手洗いではなく、「清める」という意味のことですが、それをしていないイエス様の弟子たちを、ファリサイ派の人たちは、ひどく咎めています。
私たちの生活でも「違い」を見つけ、それを分離、排除しようとするという思いになることは度々あります。
イエス様は外から人の中に入るもの、人間が作り出すものではなく、神様から与えられているお恵み、愛には違いや汚れは無く、人間の心の中で作り出すものが人を排除していく、ファリサイ派の人たちの「排除しようと」いう思いは、神様からの教えではなく、自分たちが作り出している罪である。と諭しておられます。
イエス様は人間の中から出ている、その悪い思いに最後まで付き合われ、殺されます。
にもかかわらず、私たち一人ひとりに対して、常に外からの、神様からのお恵みを与え続けてくださっています。
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