司祭 ヨハネ 荒木太一
肉体の近さの喜び
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは」(ヨハネ福音書6・56)
これは聖餐についての教えですが「肉を食べ、血を飲む」という表現はドキリとします。もちろんこの世的な肉を食べ、血を飲めと言うのではありません。その点では「霊的」に食べるのです。
しかし、かと言ってパンを食べてぶどう酒を飲むのはただ「イエスさまを思い出しなさい」ということではありません。パンとぶどう酒は本当にそこにいるイエスさまの存在です。肉体です。肉です。
聖書の「肉」には良い意味と悪い意味があります。パウロでは悪い意味で「この世の罪と死の力」です。しかしヨハネ福音書では良い意味で「人間に与えられた神の大切な器、道具、しるし」です。
そして神は人間が体を持つ存在であることを大切にして、愛して、自ら「肉となって私たちの間に宿られた。」(ヨハネ1:14) 私たちと同じ肉体をもって、私たちと一体になり、しかも罪と死をその肉体に受けて死なれた。そして復活して、肉体を含む新しい命をくださるのです。キリストの救いは肉体を通して成し遂げられ、伝えられます。
これは喜びです。神は天国の遠く離れた所にいるのではなくて、私たちの肉体の近さに来てくださる。 肉体の近さで一つになってくださる。キリストが私たちの内に宿り、私たちがキリストの内に宿る。
肉体の近さの喜び、身体性の神秘、これが現れるのが聖餐です。パンとブドウ酒を口でいただく近さに神は来られる。また間接的にそのパンとぶどう酒が変わっていく私たちの肉体の隅々に至るまで、神は近くにいてくださる。
私たちに最も近い神の声を聞こう。
「わたしはここにいる。あなたの指、口、喉、お腹、体の隅々にわたるまで近くに。」
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