司祭 ダニエル 鈴木恵一
今日の福音書はヨハネによる福音書(6:24−35)から朗読されました。先週の福音書では弟子たちは湖上でイエスさまの不思議な姿を見て驚き恐れましたが、それも、食事の出来事の無理解からの恐れであることをイエスさまに教えられました。
不思議な出来事に直面したとき、わたしたちもなんとか自分の理解で受け止めようとしますが、わたしたちの理解を越えた神さまの出来事には、誤解をして受け止めてしまうことも起きてしまいます。
今日の福音書でも、イエスさまたちを追いかけ湖を渡ってきた人々が、イエスさまが伝えようとしたこととは違う理解をしてしまったことが記されています。イエスさまは追いかけてきた人々に「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」と言われました。イエスさまが求めておられるのは、人々が「しるし」を見ることでした。
ヨハネによる福音書では、奇跡のことを「しるし」と表現しています。この不思議な出来事をとおして、人々がイエスさまを知り、神さまを知るようになるのが「しるし」という言葉の意味するところです。単に目に映る出来事に驚いたり、目に見えるものを期待するだけでは違うのです。パンが増えたことに心を向けるのではなく、本当に人を生かすものは何かということをイエスさまは、はっきりと語られました。
イエスさまが言われるのは、イエスさまご自身が命のパンであるということです。イエスさまのうちにこそ命があります。地上に生きていたイエスさまの命は、神さまとのつながり、人との繋がりの中にありました。神さまによって生かされる命です。その命のパンを、イエスさまは人々に分け与えられました。イエスさまご自身こそが、人と人とが生かし合ういのちを日々生きておられました。わたしたちも、このイエスさまのいのちに招かれていることを喜び合いましょう。
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