司祭 ダニエル 鈴木恵一
今日の福音書では、イエスさまがたくさんの人々と分かち合う食事のできごとが、朗読されました。
この聖書の箇所に触れると思い出すことがあります。それは大学生のころに出席した大きな礼拝のことです。たぶん、わたしにとって100人を超えるような大きな礼拝に出席したのは、初めてのことだったかもしれません。会衆席の前の方に座っていたので、何人もの方が、陪餐を受けている姿をみていました。その日の礼拝は、いつまでたっても、その陪餐の列が終わることがありません。また、パンもぶどう酒も足りなくならずに、たくさんの方々が陪餐にあずかっています。そして、みんなうれしそうに、陪餐を受けている姿を見ていると、イエスさまのわかちあいの食事も、こんな気持ちになる食事だったのでは、と感じました。イエスさまの5000人の食事の記事を、おとぎ話のように、どこか自分とは関係のない話のように考えていたことに気づかされた時でもありました。そして、「どのようにしたら、少ない小さなパンを増やせるのか」ということばかりを気にしていていたのだと振り返ります。聖餐式をとおして与えられるうれしい気持ちや満たされる気持ちと、イエスさまの食卓の福音書に書かれている出来事がつながったときでした。
このイエスさまの食卓のできごとは、わたしたちが普段は小さなものと思っていることが、イエスさまの祈りと祝福によって、神さまの大きなお恵みのわざに変えられ、多くの人々がよろこびを体験した出来事です。わたしたちも、イエスさまの祈りと祝福によって大きな喜びに招かれていることへの感謝を分かち合っていきましょう。
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