2024年6月30日 聖霊降臨後第6主日(B年)

 

司祭 セシリア 大岡左代子

タリタ・クム 〜いのちを回復されるイエス〜

 今日与えられた福音書は、有名な「タリタ・クム」という言葉がイエスから発せられる物語です。「タリタ・クム」はイエスが話しておられたアラム語で、これは聖書にもあるように「少女よ、さあ起きなさい」という意味です。この生き返ったヤイロの娘のお話はマタイ、マルコ、ルカの福音書すべてに記されています。
 ヤイロは会堂長でした。会堂長とは、ユダヤ教の会堂、シナゴグの責任者です。教会の長老の中から選ばれて有名なラビ(学者)がその役割に任命されることが多く、人々から尊敬される対象でもあり、当然のことながら社会的地位の高い存在でした。その会堂長であるヤイロには娘がいて、彼女は重い病気だったのでしょうか?死にかかっているからイエスに手を置いてほしい、そうすれば娘は助かるはずだと、イエスの足元にひれ伏して願い出たのです。その娘は12歳でした。
 ヤイロはその社会的地位からすると、イエス様のところへ誰か人を遣わして、娘の治癒を願ったとしておかしくありません。けれども、ヤイロ自身がイエス様のもとへやってきてなりふり構わず、自分の娘を助けて欲しい、と懇願します。やがて、娘が亡くなったとの知らせがあり、もうイエスの助けは不要であるとの話が出てくると、イエスは「恐れることはない。ただ信じなさい」と言い、ヤイロの家へ行ってイエス自身が娘の手を取って起こされたのです。これはイエスの起こされた奇跡物語です。現代に生きる私たちにとっては信じがたいことでしょう。けれども、福音書が書かれた時代の人々は、この物語を大切に語り継いできました。ヤイロはどうしようもない、もう自分の力では何もできない病の娘を前にして、社会的地位も何も関係なく、ただただイエスに懇願しました。そのヤイロの叫びを聴き、イエスは少女のいのちを回復されました。実はこの物語の間にはどの福音書にも「イエスの服に触れる女」の物語が挿入されています。12年間も原因不明の出血に苦しんでいる女性が、やはりどうしようもなく、せめてイエスの衣の裾にでも触れたら癒される、と思って衣服に触れ癒された物語です。この二つの物語には、12年という共通した時間と、なりふり構わず救いを求める、必死な姿描かれています。
 「スマートさ」に価値をおく現代、「なりふり構わない」ことが「かっこ悪い」と思われ、私たちは自分の痛みを覆い隠したり、見ないふりをして「救ってください」と心から神に願うことを疎かにしていないでしょうか。神の前では何も遠慮することはありません。すべての思いをなりふり構わずさらけだすとき、新たないのちへと導かれることを信じ、祈りたいと思います。