2024年5月19日 聖霊降臨日(B年)

 

司祭 アンナ 三木メイ

「この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいる」
【ヨハネによる福音書 14章17節c】

 ヨハネによる福音書には、イエスが亡くなる前に弟子たちに語った「訣別説教」が長々と記されています。これらの説教の言葉のほとんどは他の福音書には記されていませんが、そこには、ヨハネによる福音書を伝承した共同体の人々がどのようにイエスの死を受けとめ、なぜ死を超えて神の子・救い主としてイエスを信じ続けたのか、そしてどうして自分たちがキリストの福音宣教へと召されているという信念を抱いたのか、その謎を解くためのキーが多く隠されています。特に、ヨハネによる福音書には「聖霊」という言葉が多く登場しています。「聖霊」は、神の子イエスと彼を信じた人々との間にあって、そのつながりをしっかりとつないでいます。でも「聖霊って何?」と問われると答えるのは難しいですね。
 「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は真理の霊である。」(‘ヨハネ福音書14:16〜17a)
 イエスは、父なる神にその「聖霊」を弟子たちに遣わしてくださるようお願いする、しかもその聖霊は永遠にあなたがたと共にいるのだ、と告げています。「聖霊」を示す「弁護者=パラクレートス」は、元来は「傍らに呼ばれた者」という意味で、法廷での弁護者を表す言葉です。また「慰めを与える者」、「教えを与える者」という意味を含んでいる可能性もあります。ですから、困難な時にも、いつも傍らに居て、慰め、導き、助けてくれるものとも言えるでしょう。イエスが目にみえない存在になってもなお、イエスを自分たちの主であり、神の子・救い主であるという信仰を保ち続けられるように、そしてたとえ死が訪れようとも父なる神、子なる神との関係をしっかり繋いでくれる「聖霊」の降臨が約束されたのです。
 ヨハネ共同体が活動していた時代には厳しいキリスト教迫害があったと言われています。人々は自分もイエスのように捕えられて殺されるかもしれない、という恐怖と不安のなかで信仰生活を送らざるを得ませんでした。迫害が怖くて共同体から逃げ出した者もいたでしょう。だからこそ「父なる神」と「子なる神」の助けを確かなものとしてくれる「弁護者=聖霊」がいつも共にいてくれることが、彼らにとって必要不可欠だったのです。
 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい。私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろう。」(ヨハネによる福音書14:1〜2)
 旧約聖書には、死後の世界としての「天国」はありません。この世での罪のために死が訪れ、死後は陰府に下る。そして終わりの日が来たら神によって甦り、救いの約束が成就されるという信仰が記されています。しかし、イエス・キリストは、主を信じて召されていった者は全て「父の家=天の国」に迎えられると約束されたという信仰によって「天国」イメージは誕生しました。これは当時の人々の死生観を一変したことでしょう。陰府に下ることなく、死後すぐに神の御許に召されて、生きている時も死んだ後も神がいつも共にいてくださる、と約束してくださったのです。人間の罪は全てイエスが代わりに贖ってくださった、だから神はいつも私たちと共にあり、死を恐れることはないのです。「この喜ばしい福音を多くの人々に知らせなくては!」という想いが弟子たちのエネルギッシュな福音宣教の源になったのでしょう。それを弟子たちに教えてくれた聖霊なる神に感謝をして、聖霊降臨日の賛美をおささげしましょう。