司祭 ヨハネ 古賀久幸
わたしはあなたたちをみなしごにはしない
【ヨハネによる福音書14章15−21】
弁護士さんは本当に頼れる存在です。ある幼稚園ですがご近所のクレーマーさんに長い間、悩まされていました。先生は萎縮し、敏感な子どもたちはどことなく落ち着かないようすで保育にも支障をきたしていました。困り果てた園長先生からの相談を受けて弁護士事務所に解決をお願いに行ったのですが、こちらの話を丁寧に聞かれるや「お任せください」と一言。その後、ものの見事に解決してくださいました。それならもっと早く手を打っておけばよかったと反省した次第です。
イエス様はご復活の後、40日間弟子たちにお姿を現されました。弟子たちはどんなに心強く、喜びに包まれたことでしょう。弟子たちはその喜びをあの十字架の時のように二度と失いたくないと願いました。しかし、イエス様がお望みだったのは弟子たちだけが至福の世界に留まっていることではありませんでした。苦しみや喜びがないまぜになったこの現実に弟子たちが再び足をつけて生きること、そしてできるならば一人でも多くの人に神様の愛、イエス様のご復活の喜びを告げ知らせること、そして「互いに愛すること」でした。しかし、ここで注意が必要です。愛は人間の心から自然に生まれるものではなかったのです。19世紀末、科学が発達し、博愛の精神が生まれ愛による理想の世界、ユートピアがすぐそこに見えていました。しかし、キリスト教を信じている(はずの)ヨーロッパ諸国に第1次世界大戦の炎が上がり、次の世界大戦では宗教はなすすべもなく無力さを露呈し、侵略による虐殺、ホロコーストや原爆も使用され、人間の手による世界の破滅が現実のものとなったのです。神様の息が吹き込まれ、神様の似姿として造られた人間には神様の愛のかけらもなかったことが残念ながら明らかになりました。人間の心はこのように渇いた荒野のようなものかもしれません。だからこそ、神様は真実の愛をイエス様の十字架と復活という最も強烈な出来事によってわたしたちに届けられたのだと思います。そして、愛であるイエス様は聖霊の風になってわたしたちの心に寄り添ってくださいます。渇ききった荒れ野を彷徨(さまよ)うわたしたちを決してみなしごにしない。愛の弁護者が伴にいてくださるとのイエス様の約束にしっかりと立ちましょう。
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