司祭 サムエル 小林宏治
「イエスは良い羊飼い」【ヨハネによる福音書第10章11節から16節】
今回の福音書の箇所は、「イエスは良い羊飼い」という小見出しのところです。イエス様の周りにはファリサイ派の人たちがいました。その人たちにイエス様は言われました。
「わたしはよい羊飼いである。」
当時の人たちにとって、羊飼いにつれられた羊の群れはよく見る光景だったと思います。その羊飼いと羊の関係はとても大切なものでした。深い信頼関係がそこにありました。
イエス様のまわりの人たちは、そのような、羊飼いとしての役割を忘れていると指摘されました。もう一度、よい羊飼いとして働きをするようにと促されました。
よい羊飼いとは、羊のために命を捨てることができると言われます。一方、自分の羊を持たない雇われ人(悪い羊飼い)は、オオカミが来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げてしまうと言われます。雇われ人は羊よりも自分が大事なので、命をかけてまで守ろうとはしません。一方、よい羊飼いは、自分の身が危険にさらされようが、羊のために命を懸けることができます。自分と同じように羊を大切に思っているからです。
羊飼いと羊の信頼関係は、その声に表れています。羊は自分の羊飼いの声を聞き分けます。自分の命を守ってくれるのがだれなのかを知っているのです。ゆえに、安心してついて行くことができます。その反対に、知らない声の人には、決してついて行きません。自分の命がかかっているのですから。
このような信頼関係を人々の間で築くことをイエス様は求めておられます。
イエス様は言われます。「わたしはよい羊飼いである。」
わたしのしていることを、見倣うようにと。イエス様が示された神様の愛の御業をあなたがたも見倣うようにと。わたしたちにも言われています。その働きを担うようにと。
今回は、「イエスはよい羊飼い」という小見出しのところから見てきました。イエス様はご自分のことを「わたしはよい羊飼いである」と言われました。イエス様は人々に、よい羊飼いとはどのような羊飼いであるかを示されました。表面的な働きのみではなく、命をかけた、神の愛からでる働き、信頼し合える関係を築く働きをなすようにと教えられました。また、良き羊飼いに従う羊のあり方にも触れられました。 良き羊飼いの声を聞き分ける羊であるようにと。イエス様の声に聞き従うようにと。
わたしたちにも、羊飼いとしての働きと、羊としての働きがあります。そのどちらの働きも大切にしていきたいと思います。
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