2024年3月10日 大斎節第4主日(B年)

 

司祭 アントニオ 出口 崇

「この人たちに食べさせるには」【ヨハネ6:5】

 東日本大震災から13年が経ちます。
 「神様なんでですか?」と答えの出ない私の多くの問いの中でも、とても大きな出来事でした。今でも何も言語化できない、まとめることはできません。災害だけでなく、自分自身に起きた、起きている出来事ですら何も答えや言葉に出来ないことが重なっていきます。
 今年の元日に能登半島地震が発生し、多くの方々が悲しみ、不安の中におられます。
 人々の平安を祈ると同時に、何も言葉に出来ないまま、私自身に出来ること、また私たちに出来ることをしていきたいと思っています。

 先日、テレビで人類学者の山極壽一さんが、人間社会で絶え間なく起きている暴力、戦争について、ゴリラの社会と比較しながら話をしていました。
 人間は進化の過程で言語に偏りすぎたコミュニケーションをとるようになったことが争いに繋がっており、言語ではなく、身体的なコミュニケーションを増やして、信頼関係を構築していく「身体の共鳴」がもっと必要だ。というような内容でした。
 「身体の共鳴」一緒に食事をする、歌を歌う、音楽を奏でる、ボランティアなどで一緒に汗をかく。言葉以外のコミュニケーションで相手のさらに深い部分を知ることが出来る。
 争いが無くなるかどうかは分かりませんが、違う言語の人たちと一緒に汗をかき、一緒に食事をとることで深いつながりを感じたことを思い出しました。そこには通じた喜びがありました。

 イエス様はその生涯で言葉によって多くの人々を救い、癒しましたが、最後は言葉によって排除され、苦しみを受け十字架にかけられます。しかしイエス様が行っていたのは、一緒に歩き、一緒に腹を空かせ、一緒に食事をし、満足する。「身体の共鳴、魂の共鳴」そのものでした。

 イエス様の十字架の苦しみを覚えるこの大斎節
 言葉だけでなく、共に歩いてくださることで私たち一人一人の深い部分と常に関わってくださることを覚えます。