司祭 マタイ 出口 創
わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。(出エジプト記20章5節)
好きでインターネットの動画サイトYou Tubeを見るのですが、最近おすすめ動画から、「セルフネグレクト」という言葉を知りました。「自己放任」とも言われるようですが、自分の身の回りのこと、身だしなみなどに、一切手をかけたくない状況のようです。その結果、家が「ゴミ屋敷」になったり、猫などのペットを飼っていれば「多頭飼育崩壊」、服装も着のみ着のまま、洗面もしない、入浴も週に1回など、私生活が「破綻」していて病気になる寸前の人たちがいるそうです。でも中には会社勤めをしている人もいて、決して社会生活が破たんしているとは限らず、必ずしも他者に迷惑をかけているとも限らず、他者からの支援や助けを必要としている訳でもない。自分に希望を持っていないけれども、代わりに絶望もしていない。ましてや、例えばうつ病などでもないようです。背景やメカニズム、福祉の対象なのか医療の対象なのかも、分かっていないのだと思います。
たまたまかもしれませんが、動画で紹介されていた人たちは、中高年の独り暮らしという点が共通しているように思います。独りの生活ですから、自分さえそれで良ければ「どうにかできてしまっている」ことが、逆に問題なのかもしれません。この人たちは、他者はもちろんですが、自分自身にすら関心や熱情を持てない人と言えるかもしれません。
イエス・キリストの父なる神は、「あなたの」神であって「熱情の」神です。被造物に対して「あなたの」神という関係性にあることを望み、そして「ねたむ/嫉妬する」とも訳せるほど「熱情の」神なのです。自分自身しか愛せない人、自分自身にすら関心や熱情を持てない人に対しても、「あなたの」神であることを望み、そして「熱情の」神であるほどその思いは熱いのです。
イエス・キリストは、人となった神の子です。「『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』…イエスの言われる神殿とは、ご自分の体のことだったのである」(ヨハネによる福音書2章20〜21節)。人となった神の子イエス・キリストは、ご自分の体をさえ惜しまず、「壊してみよ/殺してみよ」と、敵対する人々に与えます。神の神殿であるご自身の体、ご自身の生殺与奪の権を与えてまでも、神は「あなたの」神であることを望み、そして「熱情の」神であるほどその思いは熱いのです。そして「三日で建て直してみせる」との言葉通り、十字架で殺されて三日目にご復活なさいました。神は、ご自身に等しい独り子、イエス・キリストを殺されたままにはしておかない方でもあるのです。
自分自身しか愛せない人、自分自身すら愛せない人、自分をも他者をも適切に愛せる人、様々な人が世界には生きています。でも神はそれら全ての人に対して、「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である」(出エジプト記20章5節)ことを望んでいるのです。
イエス・キリストの十字架への道、受難の道を私たちも辿るこの大斎節、ご自身の体をさえ「壊してみよ/殺してみよ」と与えてまで、「あなたの」神、「熱情の」神であることを望み、また示してくださっていることを、覚えたいと思います。そして私たちが、自分自身しか愛せなくても、自分自身すら愛せなくても、自分をも他者をも適切に愛せていても、神は等しく、熱情をもって「あなたの」神であることを望み働いておられることを、ぜひ知ってください。
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