司祭 エッサイ 矢萩新一
今週の大斎始日・灰の水曜日から大斎節が始まります。大斎節は、イエスさまの十字架へと向かわれる宣教のみ業を思い起こし、私たちが受けた愛のお恵みに感謝し、受けた賜物を用いて祈りと奉仕の業によって隣人に福音を伝えていくことを、普段よりもより深く意識する季節です。
今日の福音書(マルコによる福音書第9章2−9節)では、イエスさまの変容の物語が記されています。ご自分の死と復活を予告された6日後、高い山に登られたイエスさまは、3人の弟子たちの前で真っ白に輝き、栄光の姿を現されました。その時、雲の中から「これはわたしの愛する子。これに聞け。」との神さまの声がありました。この「これはわたしの愛する子。これに聞け。」という言葉の中に、私たちが大斎節の間、大切にしなければならない、福音のテーマが示されています。それは、イエスさまに聞き、従うということです。イエスさまならこんな時には、どのようにされるだろうかと考えることです。
雲の中から聞こえた「これはわたしの愛する子。これに聞け。」という声は、イエスさまがヨハネから洗礼を受けられた時にも天から聞こえてきた言葉です。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と、神さまがイエスさまに語られた言葉でしたが、今度は、弟子たちとイエスさまが一緒にいる所で「わたしの愛する子。これに聞け。」と、神さまが私たちにも語られています。
イエスさまは6日前、ご自分の死と復活を弟子たちに予告し、「自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と言われていました。唐突に「自分の十字架を背負って従いなさい」と言われても、何のことか分からず、弟子たちは戸惑ったと思いますが、更に今度は天からの声がして、「これに聞け」と言われるのです。「神さまの愛する子であるにもかかわらず、人間を愛するがゆえに、人々から非難され、ねたまれて十字架に架けられて行くイエスさまの人生に聞き、学びなさい」といわれるのです。
「神さまの愛する子、イエスさまに聞き従う」ということの真意をすぐには理解できないかも知れません。すぐそばにいた弟子たちでさえ、イエスさまが十字架に架けられ、復活された時に初めて、語られた一つ一つの言葉の意味や、示して下さった愛の大きさを理解し始めました。私たちも例外ではなく、忘れやすく、物事が理解できるまでに時間のかかることが多くあると思いますが、だからこそ、毎年毎年の教会歴を守りながらイエスさまの生涯をたどり、今年も額に棕櫚の灰で十字架を記し、大斎節の時を大切に過ごそうとしています。
私たちキリスト者の使命は、イエスさまの十字架の死と復活、示された行ないや言葉を語り継ぎ、実践していこうとすることです。その為に、何度も何度もイエスさまに立ち返ること、私たち一人一人は神さまから愛されている大切な存在なのだということを繰り返し確認していくことが、イエスさまに聞き従う私たちの信仰の在りようであることを、今日の福音書から学びたいと思います。大斎節の間、イエスさまの声に聞き従う、やわらかい心とやさしい愛の眼差しを忘れずに、たくさんのお恵みに感謝しながら過ごしてまいりましょう。
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