2024年1月21日 顕現後第3主日(B年)

 

司祭 ヨシュア 大藪義之

初めに、今年一日午後4時過ぎに起きた能登半島地震により犠牲となった方々、傷を負われた方、被災された方々のために祈ります。また、救助・復旧に当たる方、避難所の支援活動をされる方々の上に、主のみ守りをお祈りいたします。この極寒の中での生活すべてが守られますように。

四人の漁師を弟子にする」【マルコによる福音書1章16節から】

 ガリラヤ湖での漁は投網での漁でした。網にかかった魚はすぐに動けなくなって死んでしまいます。まして冷蔵庫などなかった時代のこと。漁師たちは夜通し、または早朝にとった魚をできるだけ良い状態で売り、買った人も煮たり焼いたりして食べていたのだと思われます。ヨハネ福音書21章には「炭火がおこしてあり、その上に魚がのせてあり」とありますから、焼いた魚、もしくは干しておいたものを焼いて食べていたのかもしれません。
 マルコ、マタイの福音書では「人間の漁師にしよう」の箇所では「ハリエイス(漁師)」というギリシア語が使われていますが、ルカの福音書では「ゾグローン(すなどる者)」という言葉が使われています。これは「ゾグレオー(生捕りにする)」という言葉なのだそうです。イエス様が実際にどのような言葉をもって、シモン、アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとヨハネに声を掛けられたのかは分かりませんが、ルカは少なくとも、弟子とは「生きた(活きた)人をとる漁師」と考えたのでしょうか。
 聖書協会共同訳では、マタイ、マルコ、ルカのいずれも「人間をとる漁師」、リビングバイブルでは「人間のたましいをとる漁師」、フランシスコ会訳では「人をすなどる者(漁師)」と訳されていました。本田哲郎神父の「小さくされた人々のための福音」では、「人間相手の漁師にしよう」(マタイ、マルコ)「人々を活かす漁をするのだ」(ルカ)となっていて、原語を大切に訳されたのだと思います。
 マタイ10章には12弟子の名簿があり、弟子たちには「汚れた霊に対する権能」を授けました。「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いを癒すため」に弟子たちは選ばれました。漁(すなど)った人が網に絡まって死んでしまうのではなく、悪霊や病気から解放され、イエス様によって活き活きとした命が与える、そのための漁師として四人の弟子が選ばれました。
 ただ、商売道具の網や舟を捨て(アフェンテス)、また父ゼベダイまでも残して(アフェンテス)イエス様に従って行くとは…。さぞ周囲の人には奇異に見え、また家族にとっては大問題だったことでしょうね。