2023年12月31日 降誕後第1主日(B年)

 

司祭 クリストファー 奥村貴充

 12月26日から街の様子が様変わりしていきます。これまでクリスマスのムード一辺倒だった飾り付けが取り払われてしまいます。しかし、その時間の流れとは逆に、教会では25日からクリスマスの期間が始まっていきます。

 ただいま読まれた聖書(ヨハネによる福音書1章1節−18節)の中で大切にしたい箇所は「光は暗闇の中で輝いている(5節)」という聖句です。ここで言う「光」は自然の光というよりも、宗教的な意味合いを含んでいて、私たちの生活を照らして導くものです。そして暗闇があるからこそ、光は輝きを増してきます。例えば、自分の内側にある暗闇の部分、弱さと向き合うときに光が光として暗闇に差し込んでくるのです。

 話は変わりますが、自分が学生の頃、聖書研究をするキリスト者学生会に出入りしていました。ただ、その頃は聖書の言葉が知識のレベルでしか感じることが出来ませんでした。そういう状態では、本当に聖書を味わったということにはなりません。
 聖書の言葉が光輝くためには、自分の弱い部分を見つめ直すことが大切です。暗闇とでも言うべき自分の内の弱い部分は元々なかったのではなく、元から自分の内に抱えていたものです。そういうものを見つめることがつらいことので、私たちは敢えて見ようとしません。しかし、自分のマイナス面にきちんと向き合う時に、聖書の言葉が光り輝くものとなっていきます。これは多くの人が証していることです。今日の福音書1章5節にあるように、「光は暗闇の中で輝く」、暗闇のような自分の弱さや至らなさを見つめ直すからこそ聖書が光輝いて見えてくるようになってきます。
 なぜなら、そういう時こそわたしたちは謙虚になれるからです。そういった所に恵みというものが聖霊によって与えられるのだと言えます。印刷された聖書本文の活字が単なる文字としてではなくて、人を救う神の言葉として見えるように自分が変えられていきます。

 イエスは生まれたときから苦しみを経験されました。だからこそ、イエスの宣教は、困難な状況に陥ったり、罪に妨げられて苦しんだりするわたしたち人間の友となり、救いへと導くことが出来るのです。そのイエスの生き様に自分を明け渡す時に、イエスを証する聖書の言葉がわたしたちを生かす言葉・光となります。