2023年11月19日 聖霊降臨後第25主日(A年)

 

司祭 ヨハネ 黒田 裕

主人と一緒に喜んでくれ【マタ25:14−15,19−29】

今日の譬えは、「タラントン」が「タレント」の語源ということで「才能」と理解されることが多いのではないでしょうか。しかし、そう捉えると、どうしても目にみえる「能力」に偏ってしまって、結局この世的な価値観つまり能力主義のなかにその意味が解消してしまうことになります。

タラントンは、「才能」を含みつつそれよりもっと広い意味で神さまから与えられている「賜物」を指しています。それは、目に見えるものばかりではなく、ともすると見落としてしまいそうなその人の価値を含むものなのです。考えてみれば、イエスさまが十字架につけられたのも大多数の人々が見逃している人間の価値を見出し、公けに言い表したからではなかったでしょうか。

このようにタラントンは大きな広がりを持っています。そして、「主人」が怒るのは、そのタラントンを使わず土に埋めてしまった行為に対してでした。そのことは「主人」が財産を「預けた」というところにも関係しています。「預けた」とは、つまり、自分のものだけにしないで用いる、という含みがあるのです。神さまは私たちに賜物を「預けて」おられるのです。

しかし、それにしても自分が預かっている賜物のなんと貧弱なことか、と嘆きたくなるときもあります。もっと頭が良ければ…、能力があれば…。しかし、そんな時には、いちばん低い額でも1タラントンであったことをもう一度思い出したいのです。

1タラントン、それは現在の貨幣価値に換算すると大体6,000万円ほどになるようです。近年の報道では億単位のニュースがざらにありますからそれほど大きくは見えないかもしれません。しかし、一庶民からすれば莫大な額に違いありません。

最も低くても1タラントン。ならば十分ではないでしょうか。十分な恵みを使うことに心を向けたいのです。しかも、そうしてそのタラントンを使う時、神さまは一緒になって喜んで下さいます(「主人と一緒に喜んでくれ」)。

降臨節つまり、主が世に来られるのを待つ期節が近づき、日課は先週にひきつづき神の国のたとえが選ばれています。神の国が到来しつつあるこの現在において、私たちは預けられたタラントンを自分だけのものにせず、用いるように招かれています。それは、また、神さまが共に喜んでくださるという希望への招きでもあるのです。