2023年11月12日 聖霊降臨後第24主日(A年)

 

司祭 ヨハネ 古賀久幸

自分で油を用意しなければ【マタイによる福音書25章1−13】

 ガリラヤ湖のほとり、イエス様の周りに集まったのは、ほとんどが寄る辺ない貧しい人々。イエス様はそんな彼らを深く憐れんでパンと魚を分け与えられました。また、持っている者は互いに分かち合うこと、分かち合いの中に神様の平和が実現すると教えられました。一方で決して分けてあげられないものがあることを今日のイエス様は教えられるのです。
 ユダヤの結婚式は夜に行われ、花嫁から頼まれた女友達が灯を揺らして花婿の行列を待ち受けます。若い女性にとっては特別な日。花婿の介添えを頼まれた男性と運命的な出会いがあるかもしれません。頼まれた日から考え抜いた服を選び、髪型に悩み、お化粧はかなり濃い目。もちろんアクセサリーはお母さんの大事なものをつけて大役に臨みます。手には油を満たしたランプ。万一こぼして大事な服を汚してはいけません。服装もお化粧も万端整えました。さて、思いもかけず花婿の到着が遅れて眠り込んでしまった彼女らは突然花婿の到着の合図に灯を整えようとするのですが、油が切れてしまっています。分けてくださいと友達にお願いするのですが、残念ながら分けられるほど友達も用意していませんでした。駆け足で油屋に飛び込んで灯を整えたのですが、すでに花婿の行列は屋敷に入ってしまいます。閉ざされた扉は彼女たちのために開けられることはありませんでした。せっかくの婚礼に厳しすぎる仕打ち。しかし、ここにイエス様の深いメッセージがあります。花婿の到着、神様の祝宴に必要なものとは美しい衣装やアクセサリーではなく、日の目をめったにみることがない別の壺に入れた油という地味なものだったのです。
 ある方のご葬儀で喪主を務められたご長男が「母はからだが弱っても枕もとに聖書を置き、家族や孫のこと教会のことも祈っていました。わたしは仕事が忙しくて家族のことも自分自身のこともおろそかにしてきました。母の信仰はとても真似できませんがこれから少しでも祈りを身につけたいと思います。」と言われました。財産と違って祈りによって形作られる人の人生は学ぶことはできても相続することはできません。神様から与えられた人生をあなたはどう使ったのですか?とイエス様は問われるのです。その人生は貸しも借りもできないひとりひとり唯一つのもの。神様は命と言う壺をわたしたちに与えられました。イエス様をお迎えするとき大切なものはきれいな衣装ではなく、一人一人の人生から絞られた祈りと言う油です。小汚い不純物いっぱいの油なのでしょうがイエス様がおいでになられるとき火を絶やさない足しにできるかもしれません。