司祭 エレナ 古本みさ
神さまの恵み【マタイによる福音書20:1−16】
アメリカ聖公会の多くの教会は、とても熱心に献金のお願いをします。「プレッジ・サンデー」と呼ばれる日曜日には、教会員全員が「プレッジ・カード」に記入し、礼拝の中でお捧げするのですが、そこには、自分の年収と献金する割合に基づいて、毎月いくら月約献金をするべきかが正確に示された表が印刷されています。例えば、年収が3万ドルで、その10%を献金する場合、毎月の献金額は250ドルとなります。5%なら125ドル、1%なら25ドルです。教会に来始めたばかりの人は、1%くらいのところから始めて、毎年少しずつ上げていくと良いと言われます。
献金のお願いについて非常に控えめな日本から来て初めてこれを経験するとかなりのショックを受けます。まるでビジネスじゃないですか。しかも、クレジットカードまで使えるのです!しかし、その日曜日の説教の中で、牧師はこう言いました。「あなたは今自分の力で生きていると思っていないだろうか? あなたのいのち、そして今持っているすべてのものは神のものなのだ。今、神は我々に100%無償で与えてくださっている。そのうちのたった10%だけでも神にお返しすることはできないだろうか?」。
そのとき私は、目が開かれました。それまで、自分の持っているものは、すべて自分の力で得たものだと、とんでもない勘違いをしていたのです。この世のすべて、そして私の人生は神さまのものなのです。食べ物も、住居も、服も、お金も、自然も、能力も、友達も、人生も、私自身も、すべて神さまのもの。神さまはそれらすべてを惜しみなく私に与えてくださっている。私はなぜ今までそのことに気づかなかったのだろうか?
「ぶどう園の労働者のたとえ」は、このことを教えてくれていると思うのです。神さまはご自身のぶどう園で働くよう、私たち一人ひとりに常に呼びかけておられます。たいていの場合、私たちはその呼びかけに気づきません。しかし、私たちは人生を生きる中で、広場でただ何もせず立ち尽くすしかない時を経験します。「だれも私を必要としていない。だれからも愛されていない。なぜ生きているのだろう。自分には価値がない。」その時、私たちはようやく「あなたもぶどう園に行きなさい。私はあなたにふさわしい賃金を払おう」という声が響いているのを知るのです。
ぶどう園、つまり神の国に入るための切符は、神さまの手の中にしかありません。神さまの声に耳を傾け、差し伸べられた神さまの手を取り、神さまに従ってこそ、私たちはそこに入ることができるのです。それは、まさに私たちが初めて教会に来たときの思いでないでしょうか。けれども、クリスチャン生活が長くなればなるほど、私たちは貪欲になり、与えられた恵みに満足できないようになる気がします。なぜでしょう? 神さまからの見返りを期待するようになるからでしょうか。自分よりも正しいとは思えない生活をしている人が、より多くの恵みを神さまから与えられていると見える人々に出会うからでしょうか。
神さまは私たちに十分すぎる良いものを与えてくださっています。私たちはすでに神のぶどう園で雇われているのです。神さまを心から信頼し、喜んで神さまのために働きましょう。
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