2023年9月17日 聖霊降臨後第16主日(A年)

 

司祭 ミカエル 藤原健久

一人じゃないからこそ。【マタイ18:21−35】

 「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」赦しはキリスト教倫理の根本です。私たちは赦さなくてはいけません。けれども、赦せない人、赦せない時があるかもしれません。そんな時には、無理に赦さなくて良い、と私は思います。神様に全てお委ねしましょう。赦せない自分を責めるよりも、神様に委ねた方がずっと良いです。
 パウロは言います。「私たちの中には、誰一人自分のために生きる人はなく、誰一人自分のために死ぬ人もいません。」本当にそうだと思います。パウロはすぐに神様と結びつけますが、具体的には、私たちと神様との間に、誰か別の人が入るのです。私たちは、誰かとの交わりの中で生きています。私たちは誰かから赦されて、今を生きているのです。だから私たちも誰かを愛します。そこまで深い関係ではなくても、「袖振り合うも他生の縁」、今、ここに居るだけで、何らかの愛と赦しを生きているのです。 私たちは一人じゃない、それが、私たちが人を赦す根拠です。
 イエス様は復活された時、まず弟子たちに会いに行きました。イエス様のご復活は、私たちに「一人じゃないよ」ということを伝えるものだったのでしょう。愛の交わりの中に、赦しがあります。