司祭 ヨシュア 大藪義之
ともに歩んでくださる神
息子からの生体肝移植の手術を受けて7年が経ちます。多くの人の祈りや支えを受けて今ここに生のあることを感謝しています。
約半年を超える入院ですっかり身体の筋肉、特に脚の筋肉がすっかり落ちてしまいました。術後、ようやく脚をベッド上で脚を動かすことからのリハビリが始まりました。高校、大学とずっと運動クラブでしたから、体力や筋力には自信があり、ベッドからすぐに立ち上がれるだろうと足を下ろしたところ、へなへなと尻もちをつく始末。看護師さんにバレないようにと何とかベッドに上がることができました。それからは一つ一つのリハビリを真面目に続けて、ようやく歩行訓練が開始され、歩けることの喜びを感じました。
自身が障がい者手帳を持つこととなり、それ以来、病院や街の中でも脳や脚の関節にダメージを受けて、歩くことに苦労されている方に目が止まるようになりました。かなりのご高齢で半足長ずつしか前に進めない方、数歩歩いては一休み、また数歩歩いて一休み、と目的地までにはなかなかたどり着けないだろうと思う方…。自分が退院た初めての夏、まだ歩く力が弱かった頃に50メートルほど先のバス停まで、真夏の灼けるような陽射しを浴びて泣きそうになり、一歩ずつしか歩けないのは分かってはいるけれど、その目的地をはるかに遠くに感じながら歩いたことを思い出します。
モーセに率いられたイスラエルの民も同じような気持ちだったかもしれません。「昼は雲の柱、夜は火の柱」に導かれているとはいえ、いつまで続き、どこまで歩くのかも分からず荒れ野を進み続ける、大きな不安を抱いた人も中にはいたかもしれませんが、「昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」とあるように、神様はいつも民を見守り、伴っていてくださいました。
先に書いた小さな一歩の人々にも同じことが言えると思います。たとえそれが半足長であっても、バランスを崩しながらであっても、またそれが車いすや電動のものに代わったとしても、自らの意思で前へ前へと目的地に向かって歩む人の傍らには、必ず神様が伴っていてくださる、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束してくださったイエス様を知っている者は、その小さな歩みに、歩を合わせてくださるイエス様が伴ってくださっているのだと信じます。
大股で歩ける人、速く歩ける人、それはそれでとてもすばらしい。でも遅くても、小さな歩幅にも合わせてくださる、いつも共にいてくださる主に感謝します。
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