2023年7月9日 聖霊降臨後第6主日(A年)

 

司祭 クレメント 大岡 創

 考えてみれば、私たちの日々の生活はいつも順調なことばかりではありません。ときには自分が受けなければならない「重荷」を負う時、プレッシャーやストレスを感じることは少なくありません。そのような時、私たちにイエスさまはみ言葉を通して希望と慰めを与えてくださいます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書11:28)

 若い頃に関わっていた小さな教会の掲示板に、このみ言葉が掲げてありました。また、その頃用いられていた聖餐式文のなかにも「慰めの言葉」としてという繰り返し聴いた覚えがあります。この言葉を通して思うことは、イエスさまが、私たちから重荷をすべて取り去ってくださるというのではなく、私たちが生きている限り、避けることのできない様々な悩みや労苦を一緒に担ってくださるという意味だと思います。また、思い浮かべるイメージとして、田畑を耕すとき、自分が懸命に耕す畦(うね)の向こう側にイエスさまが待ち受けてくださっているという情景かもしれません。
 イエスさまのもとで、その生き方を受けとめるときに、私たちが日々担う荷を、これまでとは少し違うものとして受け止めることができるようになれば幸いです。
 話は反れますが、私の身内に仕事として「流し」をしているものがいます。経済力や仕事力、ときには「したたかさ」が求められているような社会のなかで、この世的な尺度では測りきれない喜びがあることをどこか感じさせてくれます。
 イエスさまは、わたしたちの目に映る安定した力ある姿を示されるのではなく、どこまでも「柔和」に「謙遜」に、わたしたちを受け入れてくださる方です。そして、一人ひとりのどのような営みであっても、目を留めてくださり、共に軛を負って歩んでくださるというのです。そんなイエスさまと私たちとの軛が軋まないためにも、私たちもイエスさまに心を合わせていくことができますように。