司祭 ダニエル 鈴木恵一
わたしたちは、良くありたいと願いながらも、実際には、良くできないことを数え、自分自身や周囲に対していらだちを抱えることが少なくありません。そのようなとき、イエスさまは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と言って、わたしたちが感じてきた世界を大きく変えてくださいます。
マタイを「わたしに従いなさい」と招かれたイエスさまは、「徴税人や罪人」と席を共にし、食事をされました。ファリサイ派の人々はこのイエスさまの振る舞いを批判しました。この批判に対してイエスさまは、ホセア書の言葉から「神が求めるのは憐れみであって、いけにえではない」とかえします。このホセア書の言葉は、儀礼としてのいけにえが定型化していた当時、形だけの行いではなく、神さまが求めているのは、神さまを知る事、神さまに立ち帰る事だと語っています。イエスさまはこの言葉をもって、ファリサイ派の人々の律法主義的な振る舞いと価値判断を批判され、神さまの招きを語られました。
「罪人」であると人々から批判され、その存在を認められず、避けられ、疎まれていた人々にイエスさまは、「わたしのもとに来なさい」、「あなたはそのままでいいのだ」と「存在」を認め受け入れられました。その喜びは神さまとのつながりの回復の出来事です。赦しがそこにあります。そこにはわたしが何をしたのか、どのような人物かということには関係がありません。わたしたちは、すでに「招き」と「赦し」が与えられていることに気づきます。この神さまの大きなお恵みに感謝していきましょう。
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