司祭 ヨハネ 黒田 裕
青天の霹靂〜天と地がつながれた【ヨハ17:1−11】
本日の福音書の天と地との対比から、劇団ひとり脚本・出演・監督の映画「青天の霹靂」を思い出しました。映画のラストでは目頭を押さえずにはいられませんでした。この映画には宗教的なモチーフは表面上ありません。しかし唯一、宗教的なモチーフに近付くのは「天」です。天から降る雷が生者と死者とをつなげているのです。
今日の福音書は昇天を念頭に置いたイエスさまの祈りです。イエスさまは、まさに「天を仰いで」祈ります。ところで、せっかく甦られたイエスさまはなぜ天に昇らなければならなかったのでしょうか。それは、インマヌエル=主が共におられる、という旧約以来の神と人との約束は、天に昇ることで却って、その後の聖霊の降臨と併せて成就したのです。換言すれば、天と地と、死者と生者と、絶望を希望へと、虚無を神の愛へと繋げるために天に昇られたのです。
注目したいのは「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ること」(3節)です。「イエス・キリストを知る」つまり十字架と復活の出来事を通して、神さまのわたしたちへの愛を知ること。それが天と地とをつなぎ、死者と生者を結びつけるのです。
先ほどの映画でも、主人公が愛を知ることが重要な転機となっています。また、それが天から雷を受けて倒れることによって起きていることも示唆的です。パウロも「天からの光」に撃たれて倒れたことが大きな転換点となりました。彼の受けた光もまた神さまからの愛であり恵みであったということができます。
イエスさまは、その祈りを通して、また昇天を通して、時に死者と生者とを分かつ断絶に打ちのめされ、たじろぎ、絶望に陥り、天と地との断絶を前にうろたえるしかないわたしたちと神さま、つまり、命であり愛であり恵みである天との間を、つなげて一つとしてくださいます。最後にイエスさまのお祈りの一部をもう一度味わいたいと思います。「わたしはもはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださったみ名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」(11節) 主に感謝。
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