2023年4月30日    復活節第4主日(A年)

 

司祭 パウロ 北山和民

「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数は…増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」(使徒言行録6章7節)

 「復活節には使徒言行録が読まれる」この意味を考えたことはあるでしょうか。
 「聖霊降臨」による教会(エルサレムのユダヤ教の枠を超えた共同体)の誕生から始まり、2千年前世界の宗教民族・ジェンダー・経済格差などの壁に穴を開け、広まっていく教会(使徒たち)の物語。私は、その穴を風(聖霊)が吹き抜けていく、言わば「聖霊というロックのライブステージ」が使徒言行録だと想像する。「ライブ」であるなら、聴く者は引き込まれ歓待され、心開き賛美の歌を共に分かち合わねばならない。そして「聖霊とは、教会とは何か」「どうなることがイエスの愛(聖霊)の働きなのか」と考え行動(礼拝・黙想)することが私たちの大切な態度となる。そしてペトロとの「対話」、即ち「私たち(教会)はどうしたらよいのですか」「悔い改め(分かち合いへ態度を変更)ましょう…(2:37)」のように、対話的な礼拝(宣教)に変わること。このような重要な気付きを与えてくれる使徒言行録が、「聖典」とされていること、逆にその「聖書」のおかげで二千年、今も私たちの「聖なる公同の教会」が、不正や失敗を繰り返してきたにもかかわらず、ここに福音のイエスの灯を掲げている。教会の現状を眺め、この不思議この奇跡に戦慄するのはわたしだけだろうか。本日の6章7節から思いを巡らしたい。
 「こうして(6:7)」とは何か?ルカはどこの社会でも、「悲嘆」を放置せず、誠実に「グリーフケア」することは、「仲間を増やす」こと、マネジメント(顧客の復活・尊厳の回復)することだと言う。使徒言行録6章で、特に連れ合いを失くした女性たち(マグダラのマリアも)への「分配の不平等」(経営学上、「信頼を壊す」のは最も深刻な課題)があったと記す。そこで教会の指導的立場にある弟子たちは7人の執事を任命した。これはいわゆる戦略的人事、統治(ガバナンス)がきちんと為されたということ。「こうして弟子の数は増えた」、とルカは記す。振り返って私たち「少子高齢化」の社会(教会)は「どうしたらいいのでしょうか」