2023年2月19日    大斎節前主日(A年)

 

司祭 ヨハネ 荒木太一

変容信仰

「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられますように」(大斎節前主日特祷より)

マタイ福音書第17章は、イエスさまが山の上で輝く光に変わった「主の変容」の箇所です。教会はこの日、こう祈ってきました。「栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられますように」。

そんなの無理だ、と私たちは思います。疑います。「人は変わらない…まして栄光から栄光へとイエスさまと同じ姿になんて…」。

しかし、イエスさまは復活して今も生きておられるから、私たちは死を前にしても絶望で終わらない。こう信じるのが「復活信仰」です。

また、神さまが人となって私たちの内に宿られたからこそ、この面倒な人間関係の内にも神さまが宿ってくださっている。こう信じるのが「受肉信仰」です。

そして、人となった神、イエスさまが普通の人間の姿から光に変わった。だからこそイエスさまを信じて結ばれる人もまた、神さまが必ず光に変えてくださる。こう信じるのが「変容信仰」です。「自分はどうせ変わらない」と諦めてはいけないのです。神さまはあなたを愛している。だから必ずあなたの闇を光に変えてくださるからです。

「栄光から栄光へ」とは、イエスさまが、山上の栄光から、復活の栄光へと変わっていかれたことを意味しています。同じように私たちも、この世の命の輝きから、全く新しい復活の命の輝きへと、変えられていきます。

しかし変容の道は苦しみの道です。ペトロが願ったように山に留まっていては何も変わりません。イエスさまは、私たちを神の命に輝かせるために山をくだりました。人生の坂をくだりました。命をくだりました。私たちの心の闇にまでくだりました。罪と死に殺される十字架の暗闇にまでくだりました。人の暗闇を自らの命で照らして消し去るまで、くだられました。

そして死の闇から起き上がって復活したとき、新しい命の輝きで私たちを変え始められました。栄光から栄光へと主と同じ姿に変え始められました。そして今も私たち変え続けてくださっています。

いま一度、自分の人生をよく振り返ってみましょう。この世の暗いメガネではなく、明るい神さまのメガネをかけて見てみましょう。必ずどこかに神さまは触れてくだっていて、どこかは変わっているはずです。

私たちは必ず変わります。主と同じ姿に変わります。イエスさまの十字架によって、復活の栄光に輝くことができます。変容を信じましょう。これが私たちの希望です。