司祭 ヨシュア 大藪義之
「聞く → 見る → 留まる → 出会う」
今日の福音書は、洗礼者ヨハネが証したこと、の続きです。マタイ、マルコ、ルカの福音書では、シモン・ペテロとその兄弟アンデレは漁師としてガリラヤ湖でイエス様と出会ったとなっていますが、ヨハネ福音書ではそうではなく、洗礼者ヨハネの弟子としてアンデレがまずイエス様に出会い、アンデレがシモンに「私たちはメシア−『油を注がれた者』に出会った」と言って、シモンとイエス様のもとに連れていき、「ケファ(岩)」と呼ばれるようになった、としています。
『わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。』と洗礼者ヨハネは証します。イエス様のことを『わたしはこの方を知らなかった。』とヨハネは2度も繰り返しますが、「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方=父なる神」の声を聞き、さらにヨルダン川でイエス様が自分の方へ来られたのを見ることで、イエス様こそ『世の罪を取り除く神の小羊だ』と確信します。
その翌日、ヨハネは二人の弟子(一人はアンデレ)とともに立ち、イエス様が傍らを通られたのでしょうか、再び「見よ、神の小羊だ。」と言いました。この言葉を聞いて二人の弟子はイエス様に従っていきます。
『イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ―『先生』という意味―どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。』。「泊まる=留まる」という言葉が三度繰り返され、二人の弟子は洗礼者ヨハネのもとからイエス様の弟子として留まり、イエス様に従う道を進んでいくことになりました。
イエス様の弟子となったアンデレは、まず自分の兄弟シモンに会って、救い主との出会いを告げます。この後にフィリポとナタナエルが弟子となる場面が描かれますが、そこでもフィリポがナタナエルに「来て、見なさい」と言う場面があり、ここでも聞くことから始まっています。『実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる』(ローマ人への手紙10:17)とパウロは言います。まずしっかりと神の声、人の話をよく聞くところから、自分にとっての新たな出会いが始まるのかもしれませんね。近年、フェイクニュースが世にあふれています。しっかりと「まことの言」に耳を傾けましょう。
|