2023年1月8日     顕現後第1主日・主イエス洗礼の日(A年)

 

司祭 セシリア 大岡左代子

「あなたはわたしの愛する子」

 毎年、顕現後第1主日は主イエス洗礼の日として定められています。わたしたちの教会の暦は顕現日を境に、クリスマスからイエス様の公生涯、いよいよ神の子としての生き方が始まる時へと移ってきました。
 マタイ、マルコ、ルカのいわゆる共観福音書にはイエスの洗礼の記事が記されています。特に今日の福音書であるマタイの記事には「イエスとヨハネ」の会話が挿入されています。著者はこの会話を挿入することで、イエスが洗礼を受けることは、神の意志であるということを強調します。一方で、三つの福音書に共通している印象的な記述は、イエスが洗礼を受けられた後に「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえたことでしょう。この言葉は、イザヤ書42:1「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。」と同様の意味を持ち、イエスと神との関係性を証明するとともに、神ご自身が、「あなたはわたしが選び、喜び迎えるのだから、わたしが必ず支える」ことをも証ししてくださっている声です。
 また、イエスは、聖書の中で自分に待ち受ける苦難と死を「洗礼」として語っておられます。そのような意味では、公生涯の始まりにイエスの洗礼の場面が描かれていることは、これからイエスが歩まれる苦難の道の始まりであることをも意味しています。けれども、その道には「神が共にいる」ことが約束されているのです。
 キリスト教会では「洗礼」は入信のための儀式であり、洗礼を受けることによって正式にキリスト者の共同体の一員に加えられると理解しています。それは、水と聖霊の働きによって新たに生きるようにと招かれることであり、その人がイエスと関りをもつ新しい人生を歩み始めることを意味します。「洗礼を受けたら何が変わりますか?」との問いに「何も変わらない」と言われた先輩聖職の言葉を聞いたことがあります。それは「洗礼を受けたからと言って、他の人々から区別された特別な者ではない」あるいは「他の人々から区別された優越感を持たないように」という意味であろうと思います。確かに、洗礼を受けても目に見える変化、誰にでもわかる変化はないかもしれません。けれども、自分の人生に「イエス」という方が入り込み、その方と関りをもって生きていく、ということは、実はとても大きな変化ではないでしょうか。その道は、決して平坦ではないかもしれません。けれども、その道すがら共にいて「あなたはわたしの愛する子」と呼びかけてくださっている方がおられることをしっかりと心に留めたいと思います。