司祭 クリストファー 奥村貴充
街角では12月26日から風景が一変してクリスマスの雰囲気が払拭される。しかし、教会では12月25日から1月6日までがクリスマスの時期となる。
降誕日の主礼拝ではルカによる福音書2:1−20が朗読される。その中で11節に焦点が当てられがちだが、15節の羊飼いの言葉「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」に注目してみたい。羊飼いたちは差別され軽蔑されていた存在だが、その羊飼いたちに救い主の誕生のメッセージが届けられる。この15節の言葉には、今まで差別を受けて恐れながら生きていた羊飼いが、立ち上がって前を向いて進んでいこうと、生き方が変えられる心境が込められている。救い主に会いに行こうという希望へ、生き方が180度方向転換させられるのだ。もちろんベツレヘムに行く時に危険を伴う。ローマ兵に捕まったり、山賊などに襲われたりする危険があるからだ。しかし、そんなことは恐れず、挫けず救い主に会うために前へ、前へと進んでいったのだ。
私のこれまでの人生の中で、差別や苦境の中でも立ち上がっていった人(以下、Aさん)と出会う機会があった。一時は無一文になってしまったこともあった。そのような状況の中でどんなに苦しくても希望を持ちながら生きているのがAさんだ。なぜだろうか。Aさんが心の拠り所としている聖句は、この羊飼いたちの言葉だからだ。だから希望を持って、どんな恐れや困難な中でも前を向いて進んでこれたのだ。こういう生き方は、2000年前の羊飼いたちが希望を持って歩み始めた姿と重なってくる。まさにAさんは現代版の羊飼いとでもいうべきかもしれない。
私たちもまた同じだ。どんな状況の中にあっても聖書を通して神は語りかけている。かつての羊飼いのように、また今を生きるAさんのように、どんな困難さを抱え込んでいても、「さあ、ベツレヘムへ行こう」という感じで立ち上がっていきたい。私たちもまた神のメッセージを受け入れて、そして勇気を出して前を向いて進んでいく時に救い主に出会うことができる。2000年前のクリスマスの物語は、いろんな人に勇気と希望と救いを与える物語として現代人に語りかけているのだ。
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