2022年11月6日     聖霊降臨後第22主日(C年)

 

司祭 ヨハネ 古賀久幸

死後の世界のことで悩むことはありません
【ルカによる福音書20章27−38】

 復活を信じていない人がイエス様に質問しました。当時のユダヤ社会の慣習に従い、世継ぎを設けるために死に別れた7人の兄弟と次々と結婚した女は復活のときに誰の妻になるのか? ある意味興味深い問いですが「女の人が決めたらええやん」と以前聖書研究会での女性の一言は大うけでした。
 愛する人が死んだとき、もう一度目を開けてわたしに向かって微笑んでくれと願うのは人間の偽らざる心情でもあります。イエス様のご復活はそれに続く人々の復活を約束する初穂なのですが、人間が期待するようなもの、未完の人生の続きに与えられる再起の命や、病気や老いなどにとらわれない完璧な肉体を手に入れること、またわれわれの終着点が天国であることを保障されたのではありません。イエス様は言われました。「次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活に与る者として神の子だからである」。塵から生じたわたしたちは塵に還らねばなりません。死後の世界や復活の姿を想像するには「天使に等しい者」」という手がかりで十分であり、それ以外の死後の世界をイメージする必要など無いのです。この地上に生きている間にイエス様のご復活を信じ、イエス様の体と血によって養われた私たちは父と子と聖霊に愛の内に招き入れられているから。
 イエス様はわたしたちに「み心が天に行われるとおり、地にも行われますように」祈れと教えられました。イエス様のご復活は天の父の思いがこの地に開始されたことを意味する断固とした出来事なのです。ですからわたしたちは先に眠りについた人々の列にやがて加わるまで、天の父のみ心をこの地に成すために召されて遣わされている者として旅を続けます。イエス様の復活を信じ、復活の日を仰ぎ見て。
 神は生きている者の神であるとイエス様は言われました。行き先を知らずに旅立ったアブラハムが信じた神を、不条理にも命を落としそうになったイサクも信じ、自分の狡さに振り回されながらも必死に人生の問いに向き合ったヤコブが格闘したのも同じ神だったのです。この人々は自分に与えられた人生の旅を必死に生き抜いた人々であり、神は彼らに語り掛け導かれました。その神様に今日もわたしたちは様々な思いを打ち明け、導きを求め生きるのです。神は生きている者の神。わたしたちは神によって生きるのです。