2022年8月14日     聖霊降臨後第10主日(C年)

 

司祭 ルカ 柳原健之

 イエスは今日の福音書の箇所で、「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」(ルカ12:49)、「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。」(51〜52)と言われています。これだけ聞くと怖いことを言っておられるようにしか思えませんが、その実言っておられることとしては、イエスに身をゆだね、優先する時、そこには自分の家族とでさえ分裂が起こり得るのだということです。お恥ずかしい話ではありますが、牧師という仕事をしていますと、時に家族のことよりも仕事のことを優先しなければならないことがあり、そのことで険悪なムードになることもしばしば…。今日のイエスの言葉、身をもって体験しています。

 イエスのこと、神様の御用を優先しようとする時、分裂や対立が生まれるかもしれません。しかしだからと言って、もたらされるのは分裂や対立という悲しい結末だけでなのでしょうか。それだけでなく新しい関係性も作られるはずです。まずはイエスとの関係性が強まることでしょう。イエスの言葉や思いを優先していくわけですから、言葉の意味や思いを深める機会となり、より一層イエスのことを心に刻み付けることが出来るはずです。
 イエスを優先する先には何人もの人がいることでしょう。それこそ教会やその働きを優先する時、私たちはイエスを優先する同志に出会い、その人たちとの関係も深まっていくことになります。既存の関係性は分裂されるかもしれませんが、新規の関係性が構築されもするのです。

 分裂や対立は誰しもが避けたい出来事です。イエスご自身が言われているとおり、時に親と子などの人間関係が対立することにもなります。しかし、それは単なる悲劇への道ではなく、むしろ命への道であり、新しい関係性への招待に繋がっています。

 イエスが十字架に掛かられたことにより、私たちの罪は赦されました。分裂の道を選ぶことは、イエスが取られた十字架への道を選び取ることでもあり、また赦された者として平和を作り出していく歩みでもあります。臆することなくその道を選び取っていきたいと思います。