司祭 ダニエル 鈴木恵一
今日読まれた福音書を聞いて、「いかに自分のものとしているものが多いことか」「神さまにゆだねることの大切さ」を感じました。
兄弟間のあらそい、それも遺産の相続についてのあらそいをイエスさまに裁いていただこうとする人が登場します。ずいぶんなまなましい出来事のようにも感じますが、それだけに人々の日常に関連する課題のひとつということでもあるでしょう。当時の習慣として、このように先生に教えを乞うのはごく当たり前の事だったようです。「ラビ(先生)」と呼ばれるユダヤ人たちの宗教指導者は、宗教的な教えだけでなく、実際の人々の生活の中での相談に乗ったり、もめごとの裁定にも関わりました。遺産分配のことでイエスさまに訴えた人は、そのようなラビのひとりとしてイエスさまを見ていたのでしょう。けれども、イエスさまはこの問題を取り合わず言われました。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか」。そして「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである」。イエスさまは遺産の問題について直接には答えていません。しかし、その背後にある人々の心の在り方について問いかけられています。わたしたちは誰とともに生き、誰とともに歩もうとしているのか、イエスさまはこの視点から、わたしたちの間の課題に問いかけられます。
きょう読まれた聖書の箇所の出来事の発端は「兄弟との間のもめごと」にありました。身近な人とのもめごとは、わたしたちの周囲にもよくある問題です。その時、わたしたちは物事を損か得かで判断しがちです。しかし、ここでイエスさまが問いかけておられるのは、損か得かではなく、その人と共に生きることを喜べるかどうかというところにあります。神さまの前の豊かさは、わたしたちに遠いところにあるのではありません。身近なところにある一つひとつの日常が、神さまにつながっていることを、イエスさまはわたしたちに教えてくださっています。
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