2022年6月26日     聖霊降臨後第3主日(C年)

 

司祭 クリストファー 奥村貴充

 人生は短距離レースの連続だと例えた人がいます。受験、就職、重要な人生の節目を乗り越えていくために、そのつど苦労をしながら精一杯の努力と決断をし続ける旅人というのが私たちの姿です。ルカによる福音書は「旅人としてのイエス」というイメージがあり、人生の旅路で決断をする私たちの姿と重なる部分があります。今日の福音書の読み出しから、これから長い旅路を歩んでいく上で、祈りの内に一大決断が必要だったということが分かります。

 今日の朗読で大切な箇所はルカによる福音書9章59節「わたしに従いなさい」という主イエスの言葉です。これは救いへの招きの言葉です。これが語られた背景は主イエスがエルサレムへの旅、つまり十字架の受難と死、そして復活という神の救いの計画に主イエス自らが決断し、神に従っていったという状況です。今日の中心となる言葉「わたしに従いなさい」。この言葉は命令形です。このように命令形でイエスが言われる場合、従うその先に必ず祝福と希望、救いがあります。だから命令形で言われるわけです。ただ、主イエスに従う決断をしても、私たちはこの世的な価値観に翻弄されています。そういう中で「わたしに従いなさい」という主イエスの言葉は私たちに対する励ましの言葉です。この世の事柄に煩わされないで、ただ神に従う時に希望がもたらされるのだということを伝えようとしているからです。

 日本では信徒の数は1%前後と言われます。信仰の道を歩んでいくのは困難さを感じる場合もあります。そういうプロセスの中で、どれだけ困難でも必ず希望が備えられています。苦しい中でも、決断をし、主イエス従う時に救いへの道が開かれます。だから福音書を書いた人は「従いなさい」と主イエスの言葉を私たちに伝えるために書き留めたのでした。
 私は学生の頃、キリスト者学生会(KGK)の活動をしていました。その活動を通して1人の求道者と出会う機会がありました。KGKのチラシを見てわらにもすがる感じで聖書の学びの会、祈祷会、また近くの教会の門を叩いたとのことでした。しかし主イエスに従うという決断をすることを躊躇していた模様です。クリスチャンになると将来のことに影響はないか?具体的には今後の人生の歩みなどだったそうですが、それは同時にこの世の価値観に翻弄されながらも、一方で信仰を求めるもがき苦しむ学生生活でもあったわけです。そういう中でKGKの合宿で主イエスを受け入れる決断をします。これは本人と周囲の人の祈りが聞かれ、その人の魂に聖霊が働きかけた結果です。
 このKGKの事例のように私たちは人生という短距離レースの連続のプロセスで困難を感じることもあるでしょう。しかし主がともにいて下さる、困難があってもこれから行く先には救いと希望があるのだと確信する、だからこそ、重い十字架を背負って行こうと決断出来るのです。

 今日の中心となる聖書の箇所はこの世的な組織にありがちな上意下達の命令ではなく、救いへの招きの言葉です。イエスの道に従うことは困難さを感じるかもしれませんが、行く先に希望があることを心に留めていきたい次第です。