2022年1月30日     顕現後第4主日(C年)

 

司祭 エッサイ 矢萩新一

 今日の福音書【ルカによる福音書第4章21−32節】の物語は、イエスさまの生まれ故郷ナザレが舞台です。ナザレはイエスさまにとって、母マリアさんと父ヨセフさんに暖かく抱きしめられた場所、生まれ故郷という安心できる場所であったはずです。そんな故郷ナザレで、喜んでイエスさまの話を聞いていたはずの人々が、次第にその態度が変わり、ついには「会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」と記されています。
 なぜこのような尋常ではない状況になってしまったのでしょうか。イエスさまの言葉がそんなに受け入れられなかったのでしょうか。そのきっかけは、「この人はヨセフの子ではないか」と誰かが口にした言葉でした。イエスさまが生まれ育ったナザレ村では、みんなが顔見知りという小さな村だったと思います。人々はイエスさまが自分たちの村の出身でということに気をとられてしまい、イエスさまが救い主・キリストであるという事実になかなか目が向けられませんでした。多くのユダヤ人の中には、自分たちは神さまから選ばれた民族で、神さまの救いはまず自分たちから示されるはずだという思いが、当然のようにありました。これは民族的なプライド、アイデンティティーですが、イエスさまは、人々のユダヤ人としてのプライドをうち砕くような発言をされ、そのことに人々は激しく怒り、イエスさまを殺そうとさえしてしまいす。ナザレ村の人々は、ユダヤ人としてのプライドやアイデンティティーにすがりつき、そのこだわりを捨てきれず、自分たちさえよければという自己中心の力が働いていたのではないでしょうか。
 これは、私たちの中にも、見た目が違ったり、言葉が違ったり、出身が違ったりする人々への偏見を生み出す力として強く存在しているように思います。○○病を患ったから、○○地域の人だから、○○出身だから、○○教徒だから、○○ウイルスが蔓延している地域の住民だからという理由だけで偏見を持ち、差別が起こる原因の一つとなっているのではないでしょうか。イエスさまの言葉を素直に受け入れるためには、一旦、自らのプライドやこだわりを捨てて、神さまの前に立つために心を自由にしておかなければなりません。仲間や友だち、家族や親、子どもとの絆を断ちきって、自分一人だけ自由になるなんてことはなかなかできませんが、例えば、子どもから大人になろうとする反抗期には、それまで当然のように受けてきた親からの愛情やその立ち居振る舞い、もっともらしい心に痛いことを正論としてぶつけてくる大人に反抗し、そこから離れようともがきます。何とも面倒で嫌な気持ちになるのですが、健全な成長のためには誰もが通る道です。反抗することによって、自分の心を親から離して精一杯背伸びをします。ここで大切なのは、決して心は離れたままではないと言うこと、親から離れた心はまたいつか戻ってくるということです。いずれは一回り大きくなった姿で、それまでとは違う形で新たな絆を結ぶために親元へと帰ってくるのだと思います。大人になってしまった私たちも、一旦離れてまた戻ってくるという作業、和解のプロセスが大切なのではないでしょうか。
 「離れて、帰ってくる」、私たちの心は、地上の生涯の中で何度もその作業を繰り返しながら成長して行きます。今まで築いてきた人間関係や絆、所属意識やアイデンティティー、それらから一旦離れて、また帰ってくるという作業です。この心の再構築の作業は、年を重ねれば重ねるほど難しくなり、異なる価値観や異なる文化を持つ人々と出会い、理解しようと意識的に努める必要があります。そして自己を検証するためには、聖書という拠って立つべき基準が必要です。ナザレの人々のように、人が語る厳しい言葉はなかなか受け入れにくいかも知れませんが、聖書の言葉ほど自分を見つめ直す基準にふさわしいものはありません。私たちは聖書の言葉に触れるたびに、自分を見つめ直し、凝り固まった自分の魂が、この地上のしがらみから一旦離れ、また帰ってくるという作業を繰り返しています。それは、祈りや黙想と呼んでいることでもあります。聖書の言葉は、私たちを信仰の原点へと導いてくれます。
 その原点とは私たちの信仰の基であるイエスさまの十字架です。イエスさまは十字架によってこの地上の全ての絆から断ち切られました。しかし、三日後に復活され、地上の私たちの元に帰ってきてくださいました。イエスさまは、一旦離れ、そして必ず帰ってくることによって、私たちに救いをもたらしてくださいます。私たちはその十字架を見つめながら、聖書の言葉に促されてはまた離れ、再び帰ってくる、そんな心の和解の旅を続けています。その旅への出発点は、今日の福音書の冒頭の「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」というイエスさまの呼びかけです。恐れずに人と出会い、いろいろな価値観に出会う和解と平和の旅路をこれからもご一緒に歩み続けていきましょう。