司祭 プリスカ 中尾貢三子
生き方の向きを変える時【ルカによる福音書3:1−6】
降臨節(アドヴェント、待降節とも言います)に入りました。
今日の福音書では、神の子イエスの誕生に先だって悔い改めを宣べ伝えた洗礼者ヨハネが取り上げられています。彼が現れた「時」について、ルカによる福音書は二つの「時」を書き記しています。
まず「皇帝ティベリウスの治世の第15年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督(中略)」とローマ皇帝の名前と治世で時を示し、その当時のパレスチナ(特にユダヤ)の支配者の名前を列挙しています。続けて「アンナスとカイアファが大祭司であったとき」とユダヤで誰が宗教的な責任を担っていたかがはっきり書かれています。これは「昔々、あるところに」というおとぎ話ではなく、時と場所がはっきり特定できるお話であることを示しています。また同時にこの人々はイエスさまの処刑にかかわった人々でもありました。
ローマ風の「時」を示す書き出しの後、「神の言葉が荒れ野でザカリアの子、ヨハネに降った」とあります。洗礼者ヨハネがイエスさまに先立って神の国の訪れと悔い改めを宣べ伝えていたことは、すべての福音書に書かれています。この「悔い改め」とは「ぐるりと向きを変える」という意味です。日々の生活や思い煩いでいっぱいになっている状態から、神さま中心の生き方へと「向きを変える」ようにという呼びかけでした。彼の行動はイザヤ書の「荒れ野で叫ぶ者の声」と考えられていたのです。
「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。(中略)人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」
谷が埋められ、山と丘がなだらかになったら、足腰の弱い人も小さい子どもを抱えた人も神さまのところへ来ることが楽になります。そしてみんな揃って神さまの救いを仰ぎ見ることができるようになる、そんな世界が訪れると洗礼者ヨハネは言うのです。
預言者イザヤの語った出来事と、ローマ帝国の「時」が交わったところで、洗礼者ヨハネが神さまの救いを宣べ伝え始めました。ユダヤの人々にとって彼の言葉は神さまの救いの出来事が「今」、「ここ」で動き始めていると感じられたのではないでしょうか。
神さまは、私たち人間が神さまのほうへ生き方の向きを変えるようにと招いてくださっています。そして生き方の向きを変えやすいように、人生の「山」や「谷」をなだらかに整えようとして、神の独り子を私たちのところへ遣わしてくださる。
洗礼者ヨハネの言葉のように、私たち一人ひとりが神さまへと向きを変えて、神さまの独り子を迎えられますように。降臨節のこの時、改めて祈ります。
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