2021年9月19日     聖霊降臨後第17主日(B年)

 

司祭 セオドラ 池本則子

いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、
すべての人に仕える者になりなさい【マルコ9:35】

 社会生活を送っている私たちは、自分と人を、あるいは人と人とを比べたり、優劣をつけたりすることがあります。これは人間関係の中で生きている私たちにとっては当然のことかもしれません。幼稚園でもいちばんになりたくて争いになる子供たちの姿をよく見かけます。イエス様の弟子たちも自分たちの間で誰がいちばん偉いかと議論していました。この時、弟子たちはイエス様から第2回目の受難予告を聞いたばかりでした。神の子イエス様にとっても人間である弟子たちにとっても最も重要な出来事である受難・十字架・復活の内容であるにもかかわらず、弟子たちが議論していたことはイエス様の思いとは全くかけ離れた事柄でした。

 そんな弟子たちにイエス様は言われます。『いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい』と。
 もしかしたら、「いちばん先になりたい者」や「いちばん偉い者」はこの世的に考えたらある意味、優秀な人と言えるかもしれません。そして、この世の様々なことを動かしていくには先頭に立つ人、上に立つ人は必要ではないかと思います。イエス様も決して先になりたいと思ってはならない、とは言われていません。イエス様はいちばん先になりたいと思うのなら、どのようになるのが神様の御心にかなうことなのかを教えらます。

 まず、いちばん先になりたい者はすべての人の後になるように、と言われます。先と後は正反対の位置ですが、先になりたい者は同時に後の者にもならなければなりません。いちばん先の者は手本となって後の者を先導していくことが求められます。その時、後の者のことを考えず自分勝手な思いで動いていたら独裁になります。いちばん偉い者も同じです。イエス様がいちばん後ろの者になるようにと言われているのは、いちばん後ろの者は前の様子がすべて見え、その様子を見ながら判断することができるからです。つまり、いちばん先になりたい者は後のすべての者に気を配ることが大切なことを教えられていると思います。
 そして、いちばん先になりたい者はすべての人に仕える者になるように、と言われます。いちばん偉い者も同じです。先に立って、あるいはいちばん偉いから、と威張るのではなく、最も低い位置に立って人々に仕えなければなりません。イエス様は先頭に立って私たち一人ひとりの見本となり、私たちを正しい道に導いてくださっています。イエス様は人間の力をはるかに超えた最も偉い方です。しかし、イエス様はすべての人類の救いのために受難を受け、十字架にその命をささげてくださいました。それは、人類すべてに最も仕える者となってくださった姿でした。

 私たちはいちばん先にいていちばん偉いイエス様が、すべての人の後になり、すべての人に仕える者となってくださったことを覚え、少しでも人々のことを考え、人々に仕えることができるような者となることを願っていきたいと思います。