2021年6月27日     聖霊降臨後第5主日(B年)

 

司祭 クレメント 大岡 創

 イエスさまのなされた癒しの業、奇跡の最終目的はすべてのものに神さまの愛が行き渡ることにありました。ヤイロの娘の出来事は家で行われたと記されています(マルコ福音書5章22−24,35−43節)。イエスさまの働きが教えを伝える会堂ではなく、様々な境遇に置かれた人々の生活する「家」においても救いの業が示される場所になっていったことが印象的に感じます。また、お互いに一人ひとりにどれだけ心を砕いているだろうかと考えさせられる物語です。
 39節「子供は死んだのではない。眠っているのだ」というイエスさまの言葉を聞いて思ったことがあります。誰しも、自分は必要とされている存在でありたいと願っています。にも関わらず現実は、自分の問題を掴み切れず、悩んでいることを上手く表現できず、自分に魅力がないからと段々とレベルダウンしてしまうことさえあります。悩みとは思えないような悩みを抱えている・・だから深いところで落ち込んでいる。こんな状態こそ「眠っている」のかもしれません。しかし、そういった世界を超えたところで神さまが働いておられるのだと。イエスさまは子どもの手を取って「タリタ・クム」(少女よ、起きなさい)と言われました。この言葉は、相手に働きかけ、命を与え、そして相手を新しい命に生きるために呼び起こす力となりました。私たちのために、イエスさまはこの言葉を今もなお語りかけてくださっています。イエスさまはこの言葉が、私たちの現実に生きる場面に届いて、どのような状況であっても、必ず私たちを立ち上がらせると確信しておられることを覚えたいと思います。