司祭 アンナ 三木メイ
「聖霊が降臨した、その日」
その日、天から聖霊が降り、それを受けた弟子たちは、さまざまな地域の言葉で人々に福音を語り始めます。周りの人々は驚いて、「ぶどう酒に酔っているのだ」と言う者もあった、と記されています。それ程弟子たちは喜びと熱情に満ちて語っていたのでしょう。
あの有名なマルティン・ルーサー・キング牧師は、聞く人の心を揺さぶるような説得力のある力強い説教者だったことが知られています。また、イギリス王室の結婚式で説教を担当した、アメリカ聖公会のカリー主教も、聞く人の感情を揺さぶるように、神の愛について語っていました。
聖霊降臨の日も、もしかしたらそういう感じだったのかもしれない、と私は思います。弟子たちは、イエスが十字架で死んだ後も、自分たちと共に歩んでくださる、というキリスト信仰をもちました。そして、「イエスこそ神の子、救い主だ」ということを多くの人々に伝える使命が与えられているのだと確信して、情熱的に感情豊かに、喜びをもって熱弁をふるっていた。しかし、周りの人々は、彼らがどうしてこんなに情熱的に、夢中になってしゃべっているのか理解できなかったでしょう。
弟子たちがどうしてそういう状態になったのか、彼らの心のなかを想い巡らしてみると、それは「愛の力」だと言えるのではないでしょうか。それは、イエスの「愛」であり、イエスへの「愛」です。イエスを愛していた人々が互いに集まって共に祈り、イエスが生前、自分たちに語ったこと、教えの言葉、どのような行動をとり、誰にどんな癒しと救いをもたらしていたかを思い出し、イエスの死の意味を問い直し続けていたのでしょう。そうして、約50日間が過ぎました。その間に、イエスがいかに自分たちを愛してくれていたかに気づきます。また病気や差別に苦しむ人々を愛して、神の愛と罪のゆるしを告げ知らせておられた。その救い主・イエスのわざを自分たちが引き継いで行く、神の愛をすべての人々に告げ知らせていく使命を与えられているのだという確信が、弟子たちに大きな力を与え、喜びに満ちた福音宣教活動の始まりのなったのです。
もし弟子たちの宣教活動が開始されていなければ、21世紀の今日まで続くキリスト教会は存在していなかったでしょう。イエスという人物が死刑になったということさえ歴史に残らなかったかもしれません。それを思うと、イエスの弟子たちのうえに注がれた聖霊、目には見えない神の「愛の力」の大きさには驚くべきものがあると言わざるをえません。
キリスト教会の誕生は、イエスが愛をもって弟子たちと人々の心に蒔いた福音の種が始まりです。その種から芽が出て、根を張って、光と水と栄養を吸収して、少しずつ変化して、大きく成長していく植物のように、弟子たちの信仰は成長していきました。その成長した植物の最初の収穫が、聖霊降臨の出来事です。
使徒言行録にある「五旬祭」とは、「刈り入れ祭」のことです。ユダヤ地方では、この初夏の時期が収穫の季節で、小麦の収穫をして、最初の収穫物の初穂を神様に献げて感謝する祭日でした。この弟子たちの信仰の成長は、イエスの愛の福音の種まきの最初の収穫物とも言えるのではないでしょうか。そういう意味で、「ペンテコステ」(50番目)をお祝いしましょう。弟子たちが蒔いた神の愛の福音の種は、聖霊によって大きな力で全世界へと拡がっていきました。私たちは、イエスの弟子たちの愛の種まきの使命を受け継いでいます。ですから、それぞれの日々の働きのなかで、感謝と喜びをもって神の愛の種を蒔いていきましょう。30倍、60倍、100倍の豊かな実りを信じて、主と共に歩んでいきましょう。
主は言われました。
「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(ヨハネ20:21)
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