司祭 ヨハネ 荒木太一
暗闇でしがみつく
「明けの明星があなたがたの心の中に昇る」(2ペトロ1:19)
眠れぬ夜がある。(原因はともかく、あなたにもありませんか。) 諦めて寝床から出る。外は闇だ。「自分たちはどうなるのだろう。」不安になり屋上に出ると、東にひとつ光る点。明けの明星だ。夜明けを連れて昇って来た。そして空が白け始め、星は薄くなり、私はホッと、眠くなる・・・。
キリストの光はこの明星の様なものだとペトロの手紙2は説く。心の闇に起こる、と。愛するイエスさまが再臨し、明けの明星のように小さいが強い光として暗い心に昇る。真っ赤に燃えた夜明けを連れて昇る。そのとき神の国が成就する。それは「恐ろしい審き」の時だけではない。神の愛が完成し、苦しみと悲しみが消え、喜び歌う時だ。
しかし今は暗い夜。私たちは疑う。「主よいつまで待てば神の国は来るのか。私の救いが成就し、私たちが喜び祝うのはいつか。いつこの疫病は終わるのか。」この疑いにつけ込んで「巧みな作り話」が否定して来る。「主など来ない。神の国など来ない。イエスなどいない。教会も祈りも意味がない。この疫病の禍いの終わりはない・・・。」
この疑いに対してペトロは「ともし火に暗闇でしがみつけ」と勧める。(1:19) それが主の変容での声だ。「これは私の愛する子。」旧約預言を成就するイエスさまに父が直接宣言したのをペトロは確かに聞いた。父からの無条件肯定の目撃証言にしがみつけ。イエスさまは必ず来て、あなたを完全に「神の愛する子」に変える。愛そのものである神の存在と交わりの中へ、あなたは入るのだ。
私にしがみつけ。あなたの闇に、私は必ず昇る。
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