2020年12月27日     降誕後第1主日(B年)

 

司祭 クレメント 大岡 創

 ヨハネ福音書冒頭のみ言葉はとても神秘的な響きのする箇所です(ヨハネ福音書1章1−18章)。聞きなれた聖書の箇所なのですが、とても難しく感じます。でも、「み言は人となり わたしたちの間に住まわれた」と聖歌(441番)で繰り返し歌われることによって、その日読まれる福音書のことばがわたしたちのうちに響いてくる親近感を感じるようになりました。
 キリスト教はよみがえられたイエスさまを伝えるところから始まりました。そのご復活の光のもとに彼を理解し始めたと言えます。神さまの知恵として、見えない神さまの姿として受け入れようとしたことがヨハネ福音書に描かれています。やがて「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1:14)とさらに深められていきました。少し、聖歌の歌詞とは異なることに気づきます。イエスさまは神の言としてお出でになりました。その神の言は肉となったと言われます。
 聖歌の歌詞では「人となり」とあるように、この肉とは肉体とか肉欲のことではなく、はかない人間そのものを指しています。単に人というのではなく、わたしたちの弱さ、疲れ、制御しがたい情欲、痛みなど、そのような「はかなさ」を知っておられるからこそ、重荷を負う、わたしたちを生かしてくださる方となられたのだと思います。そして「宿られた」とはイエスさまがテントを張ってわたしたちの中にとどまってくださる、というイメージです。
 お生まれになった幼子イエスさまをこれからも「受肉されたみことば」としてお迎えすることができますように。