司祭 ダニエル 鈴木恵一
この降臨節第1主日から、教会の暦は新しい一年を始めます。そして、祭壇の色は紫になります。この紫の期節は「待つ」期節といわれます。わたしたちは「待つ」ということを深く心にうけとめてクリスマスを迎える備えをしていきたいと思います。2000年前のイエスさまのお誕生、この世に生まれた救い主を思い起こしながら、わたしたちは栄光のうちに再び来られることに思いをはせます。イエスさまのおとずれである「到来」と、そこに向かうわたしたちの「待望」がこの期節の大切なテーマです。今日の福音書のことば「目を覚ましていなさい」も、わたしたちが待ち望む姿勢としての意味で改めて心に留めたいと思います。
また今日は、日本聖公会では、人権活動を支える主日と定められています。 わたしたちは、だれでも、お互いに優しさに満たされた関係でありたいと願います。でも、時にはお互いの利害が対立したり、大切にしていることの違いから、反発し合ったり、関係を避けたりということが始まってしまいます。そして尊厳を奪うような言葉で人を傷つけたり、暴力をふるうということになると、それは命に関わる問題となります。そのような関係は何世代にもわたって引き継がれてしまうこともあります。差別の関係はそのような歪な力によって、生まれ、再生産されることがあります。社会の習慣とされている中にも差別がのこっていくこともあります。以前に参加した学びの会で「差別は利害が対立するところで明らかになる」という言葉を聞いたことを思い出します。差別はよくないことと誰もが知りながら、それでもこの社会から差別がなくなっていないということの背景に、わたしたちの利害ということを通してみることで、その複雑さを知ることになりました。わたしたちが共に暮らしていく社会の中には、利害が合わないこともあります。それは、お互いを理解し合うことで、解決できるものであるにもかかわらず、そのような状況で、対立をあおるような力が加わると、相手を社会から除外することに理由があるような錯覚を人々の間におこさせてしまいます。また、人々の対立を利用して、権力を強くすることが歴史の中で繰り返されてきました。この世の王の支配もそのような力によってされてきたものは少なくありません。そのゆがんだ力は小さな立場においやられている人々をさらに抑圧していきます。
人権活動は、そのような本来の関係から離れてしまった関係を、心の通い合う本来の関係へ、神さまに祝福された関係に回復することにあると言うこともできます。人権を大切にしようと呼びかける働きは、あらゆるものの関係が回復されることを神さまは願っておられることを静かに語り伝え、人と人との間に立つことが求められる大切な働きです。
今日の福音書の言葉「目を覚ましていなさい」は、目に見える滅びゆくものではなく、目に見えない本当に確かなもの、決して滅びないものに心を向けることへの呼びかけ、ではないでしょうか。今、わたしたちが生きている現実をどう見ているか、何を真実なもの、何を本当に信頼すべきものだと思っているか、と、イエスさまは問いかけておられます。
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