司祭 バルトロマイ 三浦恒久
神さまからの贈り物
天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。(マタイ25:14〜15)
イエスさまは律法の専門家を批判しました。あなたがた偽善者は不幸だ、十分の一の献金は落ち度なく守っているが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしている、と。(マタイ23:23参照)
今日のタラントンのたとえは、この律法の専門家を反面教師として語られたものではないかと思われます。
タラントンはイエスさまの時代の通貨で、1タラントンは当時の六千日分の賃金に相当しました。かなり高額な金額です。家の主人は僕にそれぞれの力に応じて五タラントン、二タラントン、一タラントン預けて旅に出ました。この預けたタラントンは「神の恵み=愛すること」を意味しました。
五タラントンと二タラントン預かった僕たちは、「神の恵み=愛すること」を十分生かすことが出来ましたが、一タラントン預かった僕は、そのタラントンを土の中に埋め、生かすことが出来ませんでした。この一タラントン預かった僕が、イエスさまによって偽善者と批判された律法の専門家のことではないかと思われます。
律法主義に陥り、律法を守ることに汲々としていた律法の専門家は、律法の本質が神の恵み、神の愛であることを忘れていたのです。そのことに対する厳しい戒めとして、今日のタラントンのたとえを読むことができると思います。
「かみさまからのおくりもの」(ひぐちみちこ/作、こぐま社)という絵本があります。五人の赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんが生まれるとき、神さまは贈り物をくださいます。贈り物は天使が運んでくれます。さあ、神さまはどんな贈り物をくださったのでしょうか。
その贈り物とは、「よくわらう」、「ちからもち」、「うたがすき」、「よくたべる」、「やさしい」でした。神さまは素敵な贈り物をくださいました。そして、わたしたちも同じように素敵な贈り物を神さまからいただいているのです。
マタイはイエスの誕生物語の中で、「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。」(マタイ1:18)と述べています。イエスさまの誕生は人の領域ではなく神の領域に属することであって、人間の関与するところではないということです。
「聖霊によって」とは「神の恵みによって」ということです。それはすべての生命の誕生に通じることでもあります。そして、それは、わたしたちのすべての生活の営みに関係することです。こうしなければならない、こうあらねばならないと物事を固定化するのではなく、もっと自由に、もっと柔軟に、もっとおおらかに生きていきたいと思います。そのために、すべてのもの、すべての事柄は神の恵みであることを忘れないでいましょう。
タラントンを土の中に隠しているのは、実はわたしなのかもしれません。
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