司祭 ヨハネ 荒木太一
神の食事「二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え」【マタイ14:19】
古い壁画が描く聖餐には二匹の魚がある。それは最後の晩餐というより、五千人の養いを表している。罪の赦しというより、終末の食事、天の養いの象徴だ。
ヘロデ王の食事会では、都合の悪い預言者ヨハネが殺される。暴力の食卓だ。(マタ14:10) 対して直後のイエスさまの食事は、憐みの命の食卓だ。
同志の死を悲しみ、自分への暴力も予感し、イエスさまは独り荒野へ行く。しかし心身ともに救いに飢えた群衆は先回りしていた。主は「大勢の群衆を見て深く憐れみ」祈りを犠牲にして、人々を癒し続けた。
夕暮れになり、弟子たちは群衆と別れて自分たちだけで食事をしようとする。だが主は共に食事をしようと「あなたがたが養え」と命じ、たった五つのパンと魚二匹を取り、天の父を賛美した。そして飢えを覚悟で弟子に配らせると、皆が満腹してなお余った。増えたこと自体より、共に食事をしたことが重要だ。
イエスさまは当時のユダヤ人が忌み嫌った「徴税人や罪人」とされた人々を愛し、食事を共にした。(9:11) 浄・不浄、義人・罪人の境界線を超えて共に食事を祝い、楽しみ、自らの命で人を養った。五千人の養いは、終末、神の国、神ご自身の象徴だ。
私たちは聖餐で「五千人の養い」に与かる。垣根を超えて自らを分け与え続けるイエスさまに与かる。そして私たちも自らを分け与え続けることで、神の似姿になっていく。
魚を食べては思おう。イエスさまとの食事を。
https://it.wikipedia.org/wiki/File:S._Apollinare_Nuovo_Last_Supper.jpg
[6世紀のモザイク画、サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂]
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