2020年7月12日     聖霊降臨後第6主日(A年)

 

司祭 ダニエル 鈴木恵一

今日は海の主日です。7月の第2日曜日は海の主日として、ミッション・トゥー・シーフェアラーズの働きをおぼえて、祈ることが管区総会で決議され、続けられています。この働きは、過酷な労働条件で働く海運従事者を支えるために、1856年に英国で始まった働きです。現在は世界のおよそ260の港を中心に、聖公会のチャプレンとボランティアによって運営されています。日本には苫小牧、横浜、神戸でその働きが続けられています。日本聖公会のホームページhttp://nskkshinse.blog116.fc2.com/blog-category-4.htmlに、この海の主日について詳しく説明がありますので、ぜひご覧ください。

 先日、幼稚園の子どもたちに農家の方からオジギソウの苗をいただきました。小さなポットに小さな苗が一つずつ元気に育っていました。どの苗もそっとさわると、きちんとオジギをしてくれます。ていねいに育てられてきたことを感じました。

 今日の福音書は、イエスさまが話された種をまく農夫のたとえが朗読されます。このたとえ話を聞いて、不思議に思うところがありました。
 たとえ話の種をまく人は、あちこちに種を落としてしまったようです。道端や石だらけの土の少ないところ、茨の間にも種を落としていて、ずいぶん荒っぽい農夫のようです。良い土地に落ちた種は実をつけますが、大切な種ならば、きちんと畑を耕して、そこにすべての種をていねいに植えれば、全部芽をだして、それこそ多くの実を結ぶのに、と思っていました。
 ところが、イエスさまが暮らしていたパレスチナでは、日本の畑のような育て方をしても、日差しが強いためにすぐに干上がってしまうのだそうです。このたとえ話の農夫のように、土地一面に種を蒔いて、その土地を掘り起こすように耕して、種を地中深くに入れることで、乾燥から新芽を守るという農法が、適しているそうです。一見無駄が多いように見えますが、このようにすることで、豊かな実りが約束されているのです。
 そのうえ、多少の石ころがあろうとも、茨が生えていようとも、後で掘り起こしてしまえば、それも畑になるのです。
 イエスさまは、蒔かれた種についての解き明かしをされています。わたしたちが多くの実りをもたらすように期待されていることを感じます。それと同時に、この大胆な種まきのすがたに、神さまの大きなお恵みを感じます。そのような神さまの姿を思うと、イエスさまのかたる農夫は、この農夫は道ばたも石があっても茨もいっしょにすき込んで、豊かな畑に変えてしまうのではないでしょうか。
 そこが養分に満ちた良い土地かどうかということは、農夫にも分かりません。でも良い土地を選んで蒔くのではなく、種が蒔かれた土地が良い土地かどうか、というよりも、大きな収穫が得られる約束を信頼して、希望を込めて種を蒔く農夫の姿を感じます。わたしたちには無駄のよう見えたとしても、そこに神さまのみこころがあることを知ったとき、わたしたちの心も大きな実りに満たされます。