司祭 マーク シュタール
ゼカリア書より:わたしはあなたの捕らわれ人を…解き放つ。希望を抱く捕らわれ人よ…私は二倍にしてあなたに報いる。
ローマの信徒への手紙より:わたしを…罪の法則のとりこにしている…(しかし)キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則から…解放した。
マタイによる福音書より:わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
ここ最近、世界の健康状態はよくありません。私は皆さんが思い浮かべるコロナ禍のことだけを言っているのではありません。経済、貿易、観光が滞ったことにより、物流と人の往来の減少が近年まれに見る、環境、空気の清浄化をもたらしたことは事実です。在宅勤務により、通勤地獄から解放され、家族との時間が増えたことは全体的にはよいことだったはずです。しかし、負の側面としては、顔をつき合わせている時間が多くなることで生じる摩擦、緊張、そして最悪の場合、暴力も報告されています。これも個人を越えて、集合的にあるいは国レベルで見られる傾向です。私がここで言及しているのは、人種差別問題に端を発した緊張と暴力です。
この緊張はアメリカ以外にも波及しています。その勢いはまるで今回の感染症の伝播にも似ていました。黒人系の兄弟姉妹に対する、終わることのない差別的抑圧に多くの人が辟易していることの表れです。そして、その矛先は、警察による暴力的権力の行使に限らず、過去の歴史にもさかのぼり、これまで語られなかった凄惨な史実にも向けられ、それらを掘り起こす動きが見られます。この問題の根源には、400年以上前のアフリカからの黒人奴隷貿易があります。この奴隷貿易は、19世紀半ばには正式に廃止されましたが、その名残は長く残りました。奴隷身分から解放されたはずの兄弟姉妹たちは、狡猾な法制度と警察制度により、決められた居住地に住まわされ、不平等な権利しか与えられず、劣悪な環境で生きていかざるを得ませんでした。職業も生活も厳しく制限され、貧困から抜け出せないように仕組まれていました。さらには、財と名声を手に入れた多くのアメリカ企業は、アフリカ人奴隷を踏み台にしてその地位を築いていました。広告企業も商品を売るために敢えて搾取と抑圧のイメージを利用しました。これらは最近明らかにされたことですが、日に日に新たな過去が明らかにされつつあります。さて、この問題と今日のみ言葉との関係はなんでしょうか。
ゼカリア書のみ言葉は、エジプト脱出後のものです。イスラエルの民は、最悪の事態から抜け出し、人々はこれからの明るい未来を描いていました。古き良き時代が戻ってくるという以上に、過去の栄光の時代への回帰が期待されました。この時の気運のように、過去の理不尽な黒人奴隷制度の歴史が暴かれることで「希望を抱く捕らわれ人」は、「報いが倍に」なる期待が高まります。それは、抑圧された人々だけでなく、全ての人が世界に新しい光を期待するのです。
では、新しい光がそこにあるとどうしてわかるのでしょうか。パウロが内なる矛盾を嘆き語るとき、「罪の法則のとりこ」になっているということは罪の法則に依拠しているということです。しかし、パウロは「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則から解放し」てくれたと言っています。私達の内面にある矛盾やせめぎ合いは、内面に収まりきらずあふれ出てしまうものも含め、霊の法則つまりイエス・キリストによって解放されるということです。
では、その霊の法則とはどのように得られるのでしょうか。実は、極めて簡単に手に入れることが出来るのです。しかし、それを維持するには、ある程度の勤めと熱心さが必要です。イエス様が今日のみ言葉で語られています。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」この関係性からのみ、私たちの痛み、苦悩、伏せられていたおぞましい人種差別に対する憤慨が癒されるのです。そして、西洋史の問題、白人対黒人の問題、警察権力の問題を見る前に、一度、私達はここ日本の問題にも目を向ける必要があります。日本も同様に痛み、苦悩、社会が生み出している根深い問題を抱えています。
イエスが「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」(マタイ11章25節)と言ったのは、知恵のある者を軽んじての事ではありませんでした。イエスは知恵のある者の驕(おご)りを言っているのです。私達が過去の歴史をふり返るとき、心にとめるべきみ言葉です。イエスの愛と許しを人々に説いて伝道しましたが、知識人から激しく拒絶されました。一方、市井の人々には、イエスの説く愛と情熱がすんなりと受け入れられたのです。
拒絶することなく受け入れる者、へりくだってイエスのみ前に進む者、イエスの慰めを求める者、過去をしっかりと見つめる者、特に人種差別の不都合な歴史に向き合う者に与えられるものは何でしょうか。イエスはその者の身代わりとなり、より軽い軛を負わせてくれるのです。軛は従うためだけではなく、み守りを意味します。その軛を負うことで、イエスから学び、その荷はイエスが共に負ってくださるから「負うに値する荷」となるのです。
世界のあらゆる人種差別の負の歴史をイエス様が引き受けてくださり、その荷をイエス様に委ねた私達が神の子として、み心どおりのあるべき姿となり、本当の意味で自由となりますように。イエス・キリストのみ名によって、世界の健康と健全が保たれ、日に日にみ心にかなうことができますように。
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