司祭 ヨハネ 古賀久幸
「兵士たちは出ていくと、シモンという名のキレネ人に出会ったので、
イエスの十字架を無理に担がせた」【マタイによる福音書27章32節】
「十字架の道行」は聖公会やカトリックに伝承されるイエス様の受難を黙想する方法です。イエス様が死刑を宣告され、十字架を負いながらゴルゴタの丘までの重要な14場面に留まり、場面を描いた絵や彫刻を見つめながら主のご受難の痛みと神秘に心を向けるものです。その道行の第5場面、「キレネ人シモン、イエスの十字架を負う」に焦点を当ててみます。苦しみと重荷に疲労困憊されたイエス様には十字架を背負い、ゴルゴタの坂を登る余力はもはや残っていません。たまたま居合わせた男がローマ兵に呼びだされ、無理に十字架を担がされることになります。偶然であれ、キレネから旅でエルサレムに滞在していたシモンはイエス様の十字架を背負い、彼の名は聖書に記されて語り継がれました。
日本人にとっての信仰を文学で追及した作家遠藤周作さん。亡くなられて6年たったときにそれまで眠っていた長編「満潮の時刻」が刊行されました。「海と毒薬」で文壇に華々しいデビューを飾った氏が次々と話題作を世に送り、人気が頂点に達しようとした30代後半に書かれた小説です。実はそのとき遠藤氏は、危機的な状況に追い込まれていたのです。肺結核が再発し二度の手術の失敗の後、三度目の手術で命を取り留め、その後3年にわたる病床生活を強いられたのでした。このときの厳しい闘病の日々が小説の舞台です。死の淵をさまよう主人公は、夢で見た踏み絵のキリストのまなざしに捉えられてしまいます。小説のテーマは人生の半ばで死に直面した男が、イエス様のまなざしの意味を問い続けると言うものです。結核の再発とは遠藤氏にとってまさしく関わりたくもない、死刑囚の十字架を無理に負わされるような理不尽な運命でした。小説のエピローグ。三度目の手術の後、主人公が日向ぼっこをしながら肋骨の数本を失って窪んだ胸の部分にそっと触れる場面があります。そのとき、彼は「踏み絵のキリストは深い沈黙の中で、大切なことを人間に語りかけていることを発見するために、この骨を失ったのだと思えばいい」とつぶやきました。この病からたくさんのインスピレーションを得た遠藤氏は数年後あの「沈黙」を世に問うたのです。「沈黙」は大反響を呼び、映画化され日本のキリスト教小説を代表する作品としての評価を得ました。「沈黙」が生み出される背景には遠藤周作氏が無理に背負わされた十字架があったのです。
憔悴しきったイエス様はもはや十字架を背負うことはできませんでした。偶然であろうが理不尽であろうが、キレネ人シモンのように群衆の中から引っ張り出され十字架を背負わされるはめになる人がいたことを聖書はわたしたちに伝えています。しかし、十字架を背負うはめになる人、その人こそはイエス様の深い愛の意味を知る幸いを得るのです。
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