2020年3月29日     大斎節第5主日(A年)

 

司祭 サムエル 小林宏冶

「イエス様の涙」【ヨハネによる福音書第11章1節〜44節】

 今回は、ラザロの復活の奇跡物語を見ていきます。特に、イエス様が涙を流されたとても珍しいところです。エルサレムから3キロほど離れたところにべタニアという村がありました。ベタニアに住むマルタとマリアの兄弟のラザロが病気にかかっていました。姉妹たちはイエス様のもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせました。この姉妹弟とイエス様とは親しい関係であったと思われます。
 ラザロが病気だと聞いてからも、イエス様はすぐには駆けつけることはなさいませんでした。さて、イエス様がべタニアに着いた時には、ラザロは墓に葬られてすでに四日もたっていました。そして、マルタとマリアのもとには、多くの人がラザロのことで慰めに来ていました。そのような状況の中、イエス様はマリアに会われました。マリアはイエス様の足もとにひれ伏して、「ここにいてくだされば死ななかったでしょうに」と言いました。イエス様はこの時、彼女も泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮されました。そして、涙を流されました。
 状況が状況ですから、わたしたちも、イエス様の心の憤りに共感できるでしょう。また、泣かれたことも当然と思うでしょう。聖書の中の場面で、イエス様が泣かれたことはとても珍しいことです。それだけ、心を揺さぶられたと想像します。イエス様も一人の人として、親しい者の死がいかに悲しいものであるかをここに示されたと思います。
 マルタとマリアは、ラザロはもう死んだと思いっていました。もう取り返しのつかない状況になったと考えていました。死は人と人とを分け隔てるものです。その事実を受け止めるのみだと思っていたかもしれません。しかし、イエス様はその事実に目もくれず、神様に祈ります。感謝します。イエス様は神様が願いを聞いてくださることを知っておられます。そして、「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれました。その結果、イエス様の願いによって、ラザロは命を与えられ、再び生きるものとされました。
 イエス様は言われます。「わたしは復活であり、命である」と。神様の働きは、墓の中にも及びます。人の死にも影響を与えられます。イエス様が示された奇跡は、イエス様が永遠の命の与え主であることを示しています。また、イエス様を信じることは、本当の命に生きることを意味します。この世の命を越えて、永遠の命に至らせます。わたしたちは神様と共に生きるものです。死を超えたところにおいて生きるものです。イエス様が与えてくださった永遠の命に生きる者なのです。
 今、まさに、コロナウイルスの影響の中にあるわたしたちです。人との適度な距離を持つことが求められます。同時に、神様を信じる中で、人とのつながりを大切にして過ごしたいと思います。