司祭 エレナ 古本みさ
2月2日は被献日、あかちゃんのイエスさまが清めの期間を過ぎて神殿に献げられたという出来事を記念する日です。神殿に仕えるシメオンは、神さまが約束してくださった救い主と出会うこの日を信じ、今か今かと待ち望んでいました。イエス様をその腕に抱いたとき、彼はすべての苦しみ、孤独、不安、悲しみから解き放たれたのでしょう。すべてを神さまにゆだねて言います。「主よ、今こそあなたは、お言葉通りこの僕を安らかにさらせてくださいます。」それは、「もう大丈夫、あなたの愛を確信しました。あなたのもとに行かせてください」という意味だったのだろうと思います。この全人類の救い主となる小さなイエスさまを抱きながら、シメオン自身が神様の御腕に抱かれ、まどろんでいる絵が瞼の裏に浮かんできます。
それにしても、わたしたちはどうしてこんなにも待つことが苦手なのでしょう。神さまから約束されているにもかかわらず、いつしか信じることを忘れ、暗闇の中にひとり小さくうずくまってしまいます。日々、中高生に福音の種を蒔きながら、ノンクリスチャンの同僚たちに信仰の話をしながら、はねつけられるたびにしりもちを付き、なかなか立ち上がられなくなるわたしです。でも、きっと、きっと、いつの日か、蒔かれた種は目を出し、神さまが成長させてくださるのです。
シメオンには、「聖霊が彼にとどまっていた」とあります。決して、彼自身だけの力で孤独と絶望感に打ち勝ち、主を待ち望んでいたわけではないのです。聖霊がともにおられたのです。このどうしようもなく弱く、情けないわたしたち一人ひとりにも、神さまはわたしたちが喜んで約束の成就を待ち望めるよう、聖霊を送ってくださいます。信じて、前を向いて、光の中を歩み続けてまいりましょう。
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