司祭 クレメント 大岡 創
ルカ福音書の中でも有名な「ザアカイ」の話です(ルカ福音書19章1−10節)。皆からお金を集めてまわる徴税人という仕事ゆえに、また不正な方法でお金を扱っていたがゆえに周りから快く思われていなかったザアカイは、疎外感を感じながら内心、どこかで寂しい思いでいたはずです。そのザアカイは「イエスさまから名前を呼ばれた」ことをきっかけに、それまでの生き方からすっかり変わっていきます。それまで誰からも言われたことのなかった「ザアカイ、今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」というイエスさまの言葉は彼の人生のターニングポイントになっていきました。
「名前を呼ばれる」ということ。当たり前のことなのかもしれませんが、私は、幼稚園で朝、門に立って、「おはよう」と挨拶をする際に、出来る限り「ひとりひとり」の子どもたちの名前を呼ぶように心掛けています。これまでもそうように心掛けてきました。中にはよく似た名前の子どもがいたりして、うろ覚えだったり、間違った呼びかけをして「わたし○○とちがう!」って言われたりすることもあるのですが、でも、呼びかけることによって、呼ばれることによって、そこに何か「つながり」が生まれてくるように思います。
以前、教区の保育者研修で講師の先生が「きみがすきだって」という「こどもさんびか」を紹介してくださいました。幼稚園では、とても元気よく子どもたちが歌う歌のひとつです。
この歌の歌詞を見ると1節「きみがすきだ」2節「きみはだいじ」3節「きみといくよ」という相手への励ましの言葉が続きます。調べてみると、子どもに勇気を与えるものとは、誰かが認めてくれること。誰かから必要とされること。そしていっしょにやろうよ・・といってくれる仲間、同伴者がいること。そして、そのことを神さまが助けてくれることだということを、素直な表現で歌う歌です。そして、今度は自分が誰かに語りかけることができたら、素敵だねという歌にとても魅力を感じました。保育に限らず様々な場面に通じるものがあるのではないでしょうか。
日曜学校でザアカイのお話をしたあとで、この歌を皆でうたったことがありました。礼拝後に神学生が「ザアカイのことを歌っているみたいですね」という感想をいってくれたことを覚えています。救いを探す人は、その人を探す神と出会えます。そのそれぞれにその場所と今日があり、喜びへと導かれていきますように。
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