司祭 ヨハネ 古賀久幸
「狭い戸口から入るようにつとめなさい」【ルカによる福音書13章22−30】
茶道には計り知れない奥の深さがあります。茶室に入るためには「にじり口」とう狭い入り口から入らねばなりません。「にじり口」は千利休が京と大坂を結ぶ淀川を往来する枚方の川舟の出入り口からヒントを得て考案しました。偉い人でも頭を下げなければならない。武器である長い刀は携行できない。茶においては身分を問わないとかの意味がとか。さらに、「にじり口」を通って屈めた姿勢から目を上げるとそこには床のお花やお軸、釜の音、亭主のおもてなしの姿など非日常の世界が一瞬に現出するように考えられているそうです。キリシタン宣教師から「狭い戸口からはいれ」という一節にも利休はインスピレーションを得たのではという説にロマンの香りが漂います。
「狭い戸口」、それはイエス様ご自身のことです。イエス様は神様の救いをエルサレムの十字架の上で成し遂げられました。その姿が示すものはこの世界の王とは対極にある弱さ、惨めさ、謙遜さです。だれもが目を背け、できれば避けて通りたい道、くぐりたくない門です。しかし、この狭い戸口しか神の国に入ることはできません。この戸口をくぐるには自分を守る刀も、袋の中の財産も、それまでのキャリアも、あるいは由緒正しい?血統も、プライドも全部おいて、自分の足を畳んで謙遜ににじりながら中に入るしかないのです。しかし、その中ではイエス様自らご亭主として祝福のパンと杯でわたしたちをもてなしてくださる喜びに満ちた光景が広がっているのです。
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