2019年8月4日     聖霊降臨後第8主日(C年)

 

司祭 サムエル 門脇光禅

一番必要なもの【ルカによる福音書12:13〜21】

 日本人には「永遠の命」という考え方がもちにくい民族と思います。この世で生きること今がすべてと考える傾向が強いと感じます。そこで日本では、この世での繁栄、幸福を量・数字として簡単に表せるお金を、絶対視する諺がたくさんあります。「地獄の沙汰も金次第」とか「金さえあれば天下に敵なし」などです。
 だからこそ、お金によって左右される人間の心のはかなさも言い当てています。「金の切れ目が縁の切れ目」という感じです。
 このような貪欲が個人レベルでなされるならまだしも、国家レベルでなされたときに、戦争ということにもなりかねません。8月はことにそのようなことを思い浮かべる月のような気もいたします。日本も「国益」の名のもとにそのような他国に対する侵略戦争をし、そして負け、戦後の混乱を一致して乗り越えようとしました。また戦後の高度の経済の発展を、日本人は唯一の目標として掲げて、歩んできました。
 確かにかなり達成されました。でもこうしたこの世の損得勘定の考えに、今日の社会が毒されている現状はないでしょうか。精神的なもの、心の豊かさは、まだまだ放置されたままのように思えます。
 聖書に出てくるザアカイと言う人を皆さんはご存知と思います。背が低くばかにされていたザアカイでした。見返してやろうと思ったのか当時ユダヤの支配者ローマの手先になって、徴税人として働きます。当時の徴税人は今の税務署の役人とは違います。民間人の中で徴税を認められたものであり、税率は彼らが決めてその中で手数料を含めているという仕組みなのでした。
 ザアカイも他の徴税人同様、金儲けをし、力と権威、お金を手にしました。ところが相変わらず、ユダヤの裏切り者として、軽蔑のまなざしをうけ、結局前より一層孤独でした。
 そんな時イエスさまから声をかけられます。ザアカイさんは、自分を守っていたお金や名誉を捨て去って、不正を償い、イエスさまに従って、新たな人生を歩み始めたのでした。
 人間には、神さまから与えられた能力・タレントを生かす義務があります。そのためには向上心も必要です。でも人の評判を省みず、ただ人への敵対心や競争心、或いは復讐心から、地位やお金を渇望することもあります。
 そして、自分にふさわしくないほどの高い地位やお金を得たときは、逆に地位やお金を失うことに恐れを抱くようになります。誰も信じられなくなり、孤独に陥ります。いつの間にか、自分の持つ権力やお金によって、自分自身が支配され、それによって人間関係を犠牲にしてしまうのです。また高い地位に就いたために負わされた責任の重さは、その人の精神状態を厳しいところに追い詰めていくかも知れません。しわ寄せは、家族に向かっていき、家族を犠牲にすることもあります。
 自分に似合うだけ、分相応に持つことの大切さを感じるわけです。他人のことに配慮できる、愛の心を持てる余裕のある程度だけ、持つのが一番の幸福なのかも知れません。
 名誉や財産、地位という飾りはすべて捨て去って、たった一つだけ持って、身軽になったとき、そうしたら「上にあるものにだけ心を留められる」(cfコロ3:2)のではないでしょうか。そうしたらいつでも天国に入れるのではないでしょうか。
 或いは、過去の出来事や人への憎しみとか恨みを忘れて、赦してみたらどうですかという意味かも知れません。
 では、人間にどうしても必要な、ただ一つのものとは何なのでしょう(マコ10:42)。
 色んな言葉を当てはめてみました。信仰?希望?愛?聖書?神さま?み言葉?でしょうか。
 人それぞれによって違うかも知れません。僕は「神さまを求めること」と入れてみました。

主に感謝します。